オペラ鑑賞       「私なりのオペラ入門

                           石 田 眞 一   

 

1988年、偶然、アレーナ・ディ・ヴェローナの「トゥーランドット」のビデオを見る機会に恵まれ、デミトローヴァのトゥーランドット姫に魅せられ、オペラの虜になってしまいました。1991年憧れのヴェローナ歌劇団の「トゥーランドット」日本公演が代々木体育館であり感激して見ました。オペラに興味をお持ちでしたら、是非、アレーナ・ディ・ヴェローナで上演されたゲーナ・ディミトローヴァ主演の「トゥーランドット」のビデオをご覧になってください。

私の感じるオペラのすばらしさは、気取って言えば、ストーリー、音楽、詩の感動性や、舞台装置、衣裳による絵画的な感動性、それをすばらしい歌手による表現力の感動など総合的な高い芸術性を味わうことが出来るからです。と言いたいのですが、本当のところは、見知らぬ国の、見知らぬ時代への憧れを、すばらしいストーリーと詩と音楽とそれを演じる歌手の歌唱力と演技力と舞台装置と衣裳で表現され、タイムスリップして其処に居るような気になり、引き込まれていくからです。場所を地図で探したり、トゥーランドット姫や、蝶々さん、ヴィオレッタ、アイーダ、カルメン、ハンナ、コシファントッテの姉妹、デリラ、ネッダ、エルザなど登場人物の年齢を、持ち物や情況から想像しますと楽しさが倍増します。まさにブラーボ、ブラーヴァ、ブラーヴィ、ブラーヴェの世界です。そういえば蝶々さんには名前がありません。「ミツコ」と言うらしいのですが分かりません。知っている方がみえましたらお教え下さい。

オペラは外国の物語、特に西洋の物語を題材に作られていますので、本当の良さが分かるには、その国や地域、時代背景、生活様式、風俗・習慣、ものの考え方を理解する必要があり、少し時間がかかります。そういう意味から原作や類似の書物や歴史や地図を読むように心がけています。幸いなことに、なじみやすいプッチーニのオペラには、東洋を舞台にしたオペラで、涙が出てたまらないものが2つあります。何れもオペラ中のオペラです。

1つは、「椿姫」、「カルメン」と並ぶ世界3大オペラの1つといわれ、どこの国で上演されても超人気になる、日本を舞台にしたオペラ「マダム・バタフライ」と、もう1つは、これも上演されれば超人気になる、中国を舞台にしたグランドオペラの代表作「トゥーランドット」です。

何れも身近に感じる物語ですから予備知識がそんなに必要でなく、オペラの魅力をよく知ることができます。

「オペラはヴェルディかワーグナーだよ」とプロの域に達した方は、私など駆出しのオペラ狂いを馬鹿にしますが、不幸にして「トゥーランドット」に優るオペラに出会えません。「アイーダ」や「ドン・カルロ」や「ローエングリーン」や「ニーベルングの指輪」を何回見ても、泣きながら見ることはありません。私にとって「トゥーランドット」は、男にしか分からない、「男のロマン」そのものなのです。女性が泣けるオペラが「椿姫」なら「トゥーランドット」は男が泣けるオペラです。

私なりにオペラを大別すると

(1)モーツワルト、ロッシーニ、シトラウスに代表される楽しいオペラ 

(2)プッチーニに代表される深い情感を感じるオペラ

(3)ヴェルディに代表される重厚なオペラ

(4)ワーグナーに代表される荘厳なオペラ

という理解をしています。

1、歌劇「トゥーランドット」について

ニューヨークのメトロポリタンで上演された、エバ・マルトンとプラシド・ドミンゴのビデオはすばらしいと思います。劇場、出演者、舞台装置、衣裳、観客、全てが超一流で絢爛豪華そのものです。さすがメトロポリタンです。クライマックスでは超一流の観客が感激で大変な興奮状態です。

しかし「トゥーランドット」の戯曲と音楽のすばらしさ、スケールの大きさ、時代背景と演出など本当の良さが感じられるのはアレーナ・ディ・ヴェローナで上演されたゲーナ・ディミトローヴァ主演のものに優るものはないと思います。是非ご覧になることをお奨めします

私のようなクラシック音痴がオペラの虜になってしまったトゥーランドット姫の魅力、カラフの命がけの純情、豊かな音楽と演出、ストーリーの面白さ、壮大な舞台装置と舞台回しなど高い芸術性を感じる大スペクタクルオペラです。ビデオを何回見ても、泣きながら見ています。

戦闘を鼓舞するかのよう城壁には旗を林立させ、頭脳明晰で純真でこの世と思われぬ美しき乙女トゥーランドット姫が、国を守るために復讐を誓う「この宮殿の中で」や、群集や家臣までもがカラフを応援する中を、強烈なソプラノで立ち向う16歳(私の勝手な想像)の絶世の美女トゥーランドット姫が歌う「よいか異邦人」が耳から離れません。

又、首切り役人の合唱場面、大きな満月の場面、子供の僧侶達が姫を慕い合唱する場面、リューの哀願、カラフの身勝手な頼み、ピン、パン、ポンや皇帝の説得、首切り役人役のダンサーの踊り、カラフの姫を思うアリア、リューのカラフへの愛のアリアと自決、ティムール王の嘆き、カラフが姫に名前を告げて再度命を懸ける場面、歓喜の合唱のフィナーレ等極めて印象的です。

1999年4月渋谷のオーチャードホールで「トゥーランドット」が上演されました。これが「トゥーランドット」との最初の出会いだったら、オペラに興味を持つ事は無かったでしょう。プッチーニの嘆きが聞こえる代物で「ベラーボ」と叫びたくなります。スカラ座では演出に問題があればブーインが起きるのだそうですが、日本では迎合して「ブラーボ」の連呼なのです。

 1999年4月渋谷オーチャードホールのトゥーランドットの紹介

 1983年アレーナ・ディ・ヴェローナで上演「トゥーランドット」の紹介

アレーナ・ディ・ヴェローナは紀元1世紀に建てられた2万人程が収容できる野外円形劇場です。夕暮れが遅いせいか上演は午後9時頃から始まります。照明を点けないので入場者には赤いろうそくが渡されます、観客は小さなろうそくに明かりをつけてプログラムを見ます。暗い円形劇場に無数の小さな光がきらきら輝き、オペラをこよなく愛し楽しむイタリアの夏の風物詩です。観客は一流劇場の天井桟敷でブラーボ、ブラーヴァ、と叫んでいる人々が大半なのでしょう。何ともいえない風情です。ある著名な海外旅行の紹介本にヴェローナでは観光用に、夜、オペラを上演すると紹介していました。オペラ好きなイタリアの人たちは夜のアレーナで観劇する事を心待ちにしています。シーズンになると各地からアレーナのオペラを見に集まります。宿はなかなか取れません。車で寝る人も多いと聞きます。それを心無い日本の旅行誌は「観光用のオペラだ」と、けなした紹介をするのです。オペラをこよなく愛し、国の宝と思っているイタリアの人たちが聞いたらどう思うでしょう。京都五山の送り火を観光用と紹介するようなものです。恥ずかしい限りです。

「トゥーランドット」は、プッチーニが集大成を期した最初のグランドオペラですが、不孝にして、未完のままこの世を去りました。弟子のアルファーノが完成させたそうです。トスカニーニはトゥーランドット初演のスカラ座で指揮を執り、リューの死亡のくだりで、「マエストロはここで筆を絶った」といって、指揮棒を置き、席を立ったというエピソードを読んだことがあります。多分、プッチーニの無念さに耐えられず、指揮を執ることができなくなったのだと思います。

アレーナ・ディ・ヴェローナのビデオを見てすっかりオペラに魅せられてから、しばらくして憧れのヴェローナ歌劇団の「トゥーランドット」が代々木の体育館で公演されました。うれしくて、夢中になって観劇しました。リュウの死亡のくだりで1分間くらいオペラが中断しました。そのとき誇らしげな微笑で退席した60代の男性がいました。「当時最高の指揮であったトスカニーニはプッチーニの作曲でない部分は指揮が出来ないと、ムッソリーニを尻目に席を立った」というエピソードがあると紹介した記事を思い出し、トスカニーニの真似をしたと思いました。もしこの男性が退席したことについて、このトスカニーニのエピソード紹介記事に習い「ここから先は聞くに耐えない」と自慢げに話したとしたら、知ったかぶりをするだけの、オペラの本質を理解しない方だと思いました。オペラはラストシーンが最大の見せ場です。観客は、このクライマックスでオペラのすばらしい感動が最高潮に達し、スタンドオベーションしてアーチスト達をたたえます。また、そうすることが観客の礼儀であります。トゥーランドットのラストシーンは、イタリアオペラには珍しい、ハッピーエンドで終幕する感動的なもので、何とも気分が晴れ晴れとします。「トゥーランドット」の幕が降りたとき感激のあまり興奮状態でスタンドオベーションしているメトロポリタンの超一流の観客たちをビデオで見ました。「弟子の作った終幕など聞くに耐えない」と退席するなどもってのほかです。この歌劇のもっとも有名なアリア「氷のような姫君の心も」はプッチーニの最後のアリアですが未完でした。それをアルファーノが補曲して完成させたそうです。トゥーランドットに魅せられたやつがれにとっては、すばらしいフィナーレを完成させてくれたアルファーノに大感謝なのです。

  アレーナ・ディ・ヴェローナ「アイーダ」観劇記 2001年7月5日

  スカラ座「トゥーランドット」観劇記 2001年6月30日(浅利慶太演出)

 

2、歌劇「マダム・バタフライ」について

何故、一度も日本を訪れたことがないプッチーニが、ここまで日本と日本女性を表現出来るのか、偉大な作曲家のすごさを感じます。ジャポニズムブームの時代、彼は、日本にあこがれ、日本を知る努力をし、日本に来たかったのではなかろうか。ひょっとしたら、世界中の男性が日本女性にあこがれるのは、マダム・バタフライの影響かも知れない。オペラ「マダム・バタフライ」はこんなことを思わせます。

夢見る少女の蝶々さんが憧れのピンカートンの手に、「作法でしょ」と言って接吻し、ピンカートンを驚かすシーンは、何とも可愛い魅力です。蝶柄の着物を着た15歳の芸者蝶々さんは宴席で蝶が描かれた屏風の前で日本舞踊を踊ったのでしょう。それを見た軍艦リンカーン号の副官ピンカートンは屏風から蝶が抜け出したように可愛く踊る姿に、蝶を欲しがる少年のように、どうしても自分の物したくなった衝動に駆られ、周旋屋のゴローに現地妻として斡旋を依頼したのです。

当時の日本は先進国との貨幣交換率は1:50位だったと思います。10万円が500万円くらいの価値があるようなものです。

蝶々さんはスマートな白い詰襟の海軍服を着た大金持のピンカートンは少女の憧れの王子様です。その王子様に気に入られようとキリスト教に改宗し、親族から絶縁された15歳の蝶々さんの頼りはピンカートンしかいません。二人の蜜月のときはあっという間に過ぎてしまった事でしょう。

ピンカートンが長崎を去って3年経ちました。「二夫にまみえず」の武家娘として育った蝶々さんの「不名誉に生きるより名誉ある死」を選ぶ物の考え方と、契約と割り切るアメリカ社会のものの考え方の違いが悲劇的な結末を迎えてしまうのです。

マノン・レスコー、ボエーム、トスカと名作を矢継ぎ早に発表したプッチーニは、日本の慎ましやかな女性が、ヨーロッパ貴族の「不名誉に生きるより名誉の死」を選ぶ同質性と、異国情緒を題材に、自信に満ちてミラノ・スカラ座の初演(1904年2月17日、明治37年)に望みました。総練習の時は出演者全員が感動し、批評家は「成功疑いなし」と論評しました。前評判も上々で空前の前売り収入でした。しかし、開演してみると、観客の反応は、とまどいと失笑で始まり、そのうち天井桟敷からのヤジが発端となって、劇場全体が冷笑と、ブーイングに変わり、蝶々さん役のプリマドンナに向かって、「蝶々さんは妊娠してるのかい」、との品のないヤジのために、泣きながら「ある晴れた日」を歌うなど、自信作は惨憺たる結果でした。

公演は初日で中止になり、ミラノの各紙は「プッチーニの失敗」と書きたてました。プッチーニは、ショックのあまり2週間くらいは自宅に籠りっきりだったそうですが、「必ず代表的なオペラになる」確信はあったようです。各紙が酷評するなか、「このオペラは世界的な評価を受けるだろう」と書いた新聞が1紙だけあったそうです。以後、プッチーニはスカラ座での公演を許しませんでした。

失敗の原因は、当時のミラノでは、明治初期の日本の置かれた情況、風俗、習慣があまり理解されておらず、観客は、舞台装置や衣裳、ストーリーなどの日本情緒に相当のとまどいがあったと言うことのようです。事実、大勢のイタリア人歌手達の着付けの悪い着物姿や、周旋屋のゴローが着物の上にモーニングを羽織ってハットを持って登場したり、蝶々さんがピンカートンの手に口づけをすれば、驚きと冷笑が起きるかも知れません。

当時の日本人が外国人への精一杯のサービスは、へつらいと映り、悲しいのに微笑む日本人の文化は、誤解され、よく説明しなければ、理解出来ないことでしょう。

再演は、数ヶ月後、ミラノ郊外の小さな都市で行われ、成功を博し、時を同じくしてブエノスアイレスでの公演では、プッチーニが舞台でスタンドオベーションを受ける程の大好評でした。翌年のイギリス・コベントガーデンでの大成功で世界的なオペラと位置づけられました。

そして2年後のメトロポリタンでの熱狂的な成功が、名作中の名作と評価されるようになったということです。

ブエノスアイレスの成功は、日本がよく理解されていたからでしょう。風俗習慣の無理解からくる戸惑いが、天井桟敷からの痛烈なヤジとなり、名作オペラを無茶苦茶にしてしまった見本のような出来事です。

 1986年スカラ座で上演「マダム・バタフライ」の紹介(クリック)

1986年スカラ座で上演された林康子の「マダム・バタフライ」は、やぐらの木組みに、四方を3mほどの背の高い障子で囲った部屋、筋引きが施された砂利の池と石畳を敷いただけの庭という極めてシンプルな舞台装置です。

「マダム・バタフライ」が作られた時代は、ヨーロッパではジャポニズムが華やかなころで、日本式の石の庭園が数多く建設されたことを連想させます。また、紙一枚で暖まで取る障子は、照明の深みとシルエットの幻想的な雰囲気を表現し、格子にすることで造形のすばらしさを作り、日本のシンプルで深みのある「紙の文化」を演出に活用した舞台は、見事というほかありません。

天井桟敷の教養豊かな若い女性達から、ブラーヴァ、ファンタスティッコの声が飛び交ったことでしょう。ちなみに演出は浅利慶太氏で衣装は蝶々のデザインで世界的に有名な森英恵氏です。

 

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