ミラノ スカラ座「トゥーランドット」観劇記

 

                              石 田 眞 一

                        

                          

 

2001年6月30日、スーツに着替えて早めに夕食を済ませ、午後7時、オペラ「トゥーランドット」を見にスカラ座へ出かけた。浅利慶太氏は、「トゥーランドット」の時代背景を中国先史時代の「殷」とし、中国まで行って歴史背景を調査し、舞台美術の参考にしたという演出は、今までのものとはまったく違う、初めての試みとかが評判になり、チケットが中々手に入らないほどの人気だという。日本の新聞も、浅利慶太氏のスカラ座での演出が好評を博したと、時事通信発で紹介していた。スカラ座の前には、ドレスアップした婦人やスーツ姿の紳士達が、開場を待って集まっていた。

午後7時30分に開場となり、満員の入り口から赤いジュータンが敷かれ、天井には豪華な装飾が施されたロビーに入った。ロビーの右側の奥にバールがあり、その前に、特設のパンフレット売場が設けてある。日本円で約800円、15、000リラで買った255ページのパンフレットは、1kgはあろうかと思われる美術書のような豪華なものである。ロビーから劇場の中に入ったところに座席表があり、そこで座席を確かめた。

席は、1階のK列11席、舞台から11列目の正面の席を取っておいてくれた。パンフレットは、最初に、場面毎の舞台装置や登場人物の衣装やストーリーの説明があり、日本語でストーリが書いてあるページもある。浅利慶太氏の紹介ページには、1985年、スカラ座の「マダム・バタフライ」を演出したことが書いてあった。次に、1926年のスカラ座初演から現在に至るポスター、舞台美術、衣装、出演者などがスケッチ画や写真で紹介され、衣装や舞台美術の参考にした、北イタリア各地の博物館にある18世紀の中国の風俗画なども紹介がされている。スカラ座での今までの主なタイトルロールは、58年、60年、62年、64年、70年がビルギット・ニルソン、83年、85年、88年、89年がゲーナ・デミトローヴァ、85年、87年、92年、93年がエバ・マルトンと紹介してあった。パンフレットで紹介された舞台美術や衣装を見る限り、スカラ座で上演された「トゥーランドット」の時代背景は、明の時代というイメージが強く、従って、トゥーランドット姫は西太后を思わせる。

幕が開き、異様な舞台に驚いた。舞台は山水画の山岳砦のような雰囲気で、宮殿らしい建物がない。左側の茶褐色の山の中腹に「青銅の鼎」の模様を付けた山門があり、時代背景が「殷」であることを思わせる。坂を右に昇って、その奥に宮殿があると想像させるかのように、舞台の右側が高い城壁になっているが、何処にも瓦屋根が見あたず、中国を感じない。城壁の下に茅葺きの小さな小屋があり、中にカラフが叩く銅鑼が置いてある(写真はパンフの挿絵をコピーしたもの)。山中に砦のような宮殿があって、山への登り口がある広い広場が宮殿前という設定で、第1幕が始まった。カラフが命を賭け、渾身の力で銅鑼を叩く、感動的な場面は、小さな茅葺きの小屋に入っている銅鑼が貧弱で、迫力が伝わらない。殷の時代をリアルに演出しようとすればこうなるのかと思いながらも、この舞台美術には華がないと思った。

幕間の休憩時間に、後ろの席から肩をたたかれた。こんなところで知り合いに会ったのかと振り返ると、品のいい老婦人から声を掛けられた。何を言ってるのか分からないので、首を横に振った。少し離れたところに座っていた娘が来たので、婦人が何を言ったのか聞いて貰ったら、近所に住んでいる日本人の医者に似ているので声を掛けたということだった。

第2幕、お互いの身体生命を賭ける、トゥーランドットとカラフの「3つの謎」の戦いの場面は、山岳砦の坂道に旗を立てた兵隊などが埋め尽くしている。皇帝が右側の高い城壁の玉座からカラフを見下ろし、「挑戦を止めよ」と説得する名場面は、皇帝の位置が高すぎ、しかも横向きのため、老いた皇帝の心情が伝わってこない。鼎の模様のアイヌ衣装のような着物を着たトゥーランドット役のアレッサンドリア・マルクは、「異邦人よ」と言って、坂道の階段を、横歩きでないと降りられない、小錦のような立派な体格の持ち主に驚いた。下を向くのが辛いのか顎を上げてカラフを見下す演技は、傲慢な姫君に映り、感情を持たない冷たい神秘的な魅力を秘めた絶世の美女「トゥーランドット姫」のイメージとはかけ離れ、「ローエングリーン」のエルザ姫の弟(王子)を白鳥にした魔女オルトルートを連想させる。

第3幕第1場、カラフの「誰も寝てはならぬ」から、リユウが「氷のような姫君の心も」と歌って自害し、トゥーランドット姫の心に感情が戻り、カラフに惹かれていく、このオペラの最大の名場面の舞台は、暗い竹やぶの中で、情緒に欠ける。浅利氏の演出を期待したが、評判の高さは物珍しさによるもので、1985年ゲエーナ・デミトローヴァア主演によるアレーナ・ディ・ヴェローナでの演出の見事さを思うと、浅利慶太氏の失敗と映る。トゥーランドット姫の大フアンのやつがれは、やりきれない悶々とした気持ちで、午後11時45分スカラ座を出た。ダヴィンチ像のスカラ広場は帰りの観劇客で満員の状態である。地下鉄に乗るためガレリアを通り抜け、まだ人出の多いドゥオーモの前の広場に出た。午前0時、天空にはトゥーランドットの一場面を思わせるかのように、満月が近づくことを教える印象的な青白い上弦の月が輝き、ドゥオーモは広場の照明で美しく浮かび上がっていた。

                                        

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