7月5日(木)、ヴィチェンツァ ヴェツェンツァの写真集
午前11時、宿泊先のホテル・リアルト前の船着き場から、ヴァポレット(大型水上バス)でサンタ・ルチア駅へ行き、12時発ジェノヴァ行きのICに乗り、ヴィチェンツァへ向かった。
昼食は、サンタ・ルチア駅のレストランでと思っていたが、時間がないので、バールでピザとパニーノを買い、列車の中で食べた。サンタ・ルチア駅の構内にあるバールは、ローマのテルミナ駅やミラノ中央駅より遙かに大きく、イタリアで一番大きいのでは無いかと思った。
午後12時51分パッラーディオの町ヴィチェンツァに着いた。
人口75万のヴィチェンツァ地区は、近年最大の発展をした地域で、機械産業、貴金属加工産業を中心にミラノ、トリノに次ぐ第3位の輸出高という。特に貴金属加工産業は金の輸入がイタリア全土の2分の1を占め、その加工品の90%を輸出するのだそうだ。
タクシーに乗り、1時間30分の予定でヴィチェンツァの世界遺産など市内観光を頼み、最初に、世界遺産のオリンピコ劇場へ向かった。
オリンピコ劇場の入り口にはユネスコの世界遺産と書いてあったが、運転手は世界遺産を知らなかった。パッラーディオは、劇場の舞台の壁面と観客席の背後を、ギリシャ彫刻を思わせる彫刻で埋め尽くし、舞台の奥には、古代の町並みと通り(写真)を3カ所作り、古代ローマの野外劇場を模した屋内劇場を造った。
劇場の入り口に、「ノルマ」の上演ポスターが貼ってあった。
オリンピコ劇場からパラーディオ通りの宮殿等を見ながら、ドゥオーモを経て、バジリカのあるシニョーリ広場に着いた。
広場は椅子が並べられ、野外劇場になっていた。ここで「ノルマ」が上演されるのだろう。太い木の幹を描いた特設舞台の背景は、巫女ノルマが住む神殿を連想させる。鐘塔を始め広場の周りの建物は、この地区が世界遺産に指定された為か、修復の覆いが施されていて何も見えない。バジリカの2階の回廊から広場を眺め、これは野外劇場の特別席だと思った。
ヴィチェンツァには世界から多くの建築家が勉強のために訪れると運転手は言った。
途中、道路が太い鉄製の円筒で遮断されている所に出た。運転手は遮断筒に向かって携帯用の超音波発信器をセンサーに発信すると遮断筒は地面の中に入り通行出来るようになった。通行を許可をされた車は遮断筒を制御する発信器を持っているとの事であった。
時間があるからと、ヴィチェンツァを一望できる高台にある教会の広場に案内してくれた。広場には展望台が作られていて、ヴィチェンツァの町とその向こうに広がるヴェネト州の田園風景と、州境を思わせる山並みが一望出来るすばらしい眺めを見ることが出来た。高台にある貴族のヴィラも案内してくれた。多分貴族のヴィラの中はマンテーニャのだまし絵があるのだろうと思った。
駅でタクシーを降り(タクシー代64,000リラ3500円,)、14時53分のICに乗りヴェローナへ向かった。
世界遺産の町ヴィチェンツァから約30分の15時25分、世界遺産の町ヴェローナのヌオーヴァ駅に着いた。タクシーでアレーナの前にある宿泊先のホテル・ボローニャへ行き、午後9時の「アイーダ」の開演までには十分時間があり、アレーナの横を通ってアディジェ川まで散歩した。
アレーナからエルベ広場までのマッツィーニ通りやエルベ広場は、野外オペラのシーズンのせいか、前回来たと
きと比べ観光客が非常に多い。
ケナーの演奏家や砂絵の画家などが自慢の腕を披露してCDや額を売っている。店をのぞきながら歩いていると、ウインドーの中には、陳列商品の間に、オペラ衣装を付けたアイーダや椿姫やリゴレットなどの挿絵画の小品をいっぱい並べ、オペラシーズンの到来を街中が楽しんでいる空気が伝わってくる。しばらく行くと、おみやげ雑貨を売っている店の玄関に、「女の子が生まれました」と知らせる、30センチ位のピンク色のリボンをつけた手作りの花輪がぶら下がっていた。子供が生まれると、玄関に、女の子はピンクの、男の子は水色のリボンを付けた手作りの花輪をぶら下げるのだそうだ。
ホテルの一階のレストランで夕食を済ませ、アレーナの広場に出かけた。
午後8時(夏時間だから日本では9時に当たる)を過ぎているのに、2万人を収容する古代の野外劇場アレーナには日差しが当っている。
アレーナの前の広場は、着飾った地元の紳士淑女や、ラフな服装の若者や観光客などが、野球場の開場を待つように並んでいる。われわれも並んだ。広場より1mほど下がったところの入り口から洞窟のような古代劇場の通路(写真右)を通って競技場の観客席に出た。入り口より広場が1m程高いのは古代からの堆積による段差であろう。上部は自由席になっていて、開場も早く、すでに満席の状態であった。
席は、バルコニーになっている貴賓席の隣であったが、舞台か
らは60メートル位離れている。自由席の若者の集団がウエーブをやったら、観客がこれに呼応してウエーブが流れた。早く入場した観客にはローソクが配られたのか、まだ明るいのに気の早い人は火を付け、それがきらきら輝いていた。管弦楽団が入場し音あわせをする。銅鑼を手にしたオペラ衣装の若い女性が、まもなく開演すると知らせる銅鑼を1つ叩いて退場した。5分後に2つ叩き、又5分後3つ叩いて、9時10分「アイーダ」の上演となった。
「勝ちて帰れ」の場面で、舞台後方のアレーナの壁から、大きなオレンジ色の満月が昇りはじめた。巨大な古代劇場の観客席を宮殿とピラミットに見立てた舞台装置の後方から、本物の大きな満月の月の出を見ると、満月の月の出までも計算した演出に、象が出てきた後楽園の「アイーダ」のスケールとは一味違う、スケールの大きな本物のグランドオペラを見たような気がする。「凱旋」の場面では、周辺の観客も歌い出した。舞台と一緒になって歌いたいのだ。サッカーの試合ではここぞというときには「アイーダ」を歌うのだそうだ。
「ナブッコ」の「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」の合唱の場面では、大合唱になるかもしれないと想像し、スカラ座とは違う、オペラの楽しみ方がここにはあると思った。
1幕が終わり照明が入ると、これはナイターの野球場の明るさとなる。30分の休憩の後、2幕が始まる。最後の「さらばこの大地よ」を歌いながらアイーダとラダメスが墓の中に消えてゆくラストシーンは、古代の巨大劇場が一瞬真っ暗になり、大きな歓声が沸き起きる。これはスカラ座では味わえない感動である。午前0時45分に終演して、出演者や指揮者や演出家のカーテンコールが終わり、外に出た。午前1時を過ぎていた。広場は満足げな観客であふれ、中空には青白い満月が輝いていた。