シエナに立ち寄って、13時迄にフィレンツェのパルジェッロ博物館に入り、ドナテッロのダヴィデ像を見たという欲張りを実現する為には、ピサのホテルを6時15分に出発するという強行軍。タクシーを呼び、6時25分ピサ駅に着いた。朝食は列車の中で食べようと、駅の構内にあるマクドナルドでパニーノを購入した。通勤客はここで朝食を取っていた。
リヴォルノ発ボローニア行の電気機関車に客車を付けたラピド(R)が10分遅れの午前6時58分ピサに着いた。電気機関車は落書きだらけである。
リヴォルノはピサからリグーリア海沿いにローマに向かう1つ目の駅。ピサでは大勢の通勤客が乗った。エンポリ駅での乗り換え時間は8分しかなく、10分遅れでは乗り継ぎ便に間に合わない。
日本なら少々遅れても、乗り継ぎの列車は待っていてくれるのだが、イタリアでは待っているか分からない。エンポリで2時間待って、次の列車でシエナに行くか、このままフィレンツェに行くか、エンポリからヴィンチ村まではバスで30分の距離だから、エンポリで降り、ダヴィンチのヴィンチ村を経由してフィレンツェに入るかなど話し合い、とりあえずエンポリまで行き、乗り継ぎ便が待っていなかったら、ヴィンチ村に行こうということになった。
エンポリに着いたら、隣のホームに列車が止まっていた。駅員が、シエナへ行くから早く乗れとせかす。15人ほどの乗り換え客が、慌てながら乗り終えると列車は出発した。少々の遅れは、イタリアでも日本と同じように待っていることが分かりうれしくなった。
この列車は、シエナ行きの普通列車で、トスカーナのキアンティーの丘の下を走り、1時間程でシエナに着く。進行方向の左がキアンティーの丘だからと、地図を見ながら左側の座席に座った。
普通列車に初めて乗ったが、時速150kmを超すスピードで枯れ草色の耕地を走る。日本では枯れ草色は冬の景色なのに、こちらは初夏の景色であり、戸惑ったが、小麦の収穫が春だから、初夏の耕地は枯れ草色になることに気がついた。刈り入れが終わった枯れ草色の麦畑、オリーブやブドウやひまわり畑などや、なだらかな斜面のところどころに糸杉が点在する典型的なトスカーナの風景を車窓から見ながらDVを回していると、1時間はあっという間に過ぎてしまう。午前8時50分シエナに着いた。タクシー乗り場で30分待ったがタクシーは来ない、前のバス停にはバスが2回来ている。タクシーをあきらめ、バスに乗ってシエナの街に行くことにした。駅から街まではバスが頻繁に出ており、駅にタクシーが来ないのは、利用者が少ないからだということが分かった。街は丘の上にあり、15分くらいで中心に着いた。
偶然にも、7月2日は、美しいブップリコ宮殿の前の、世界一美しい広場といわれるカンポ広場で、年に2回行われる「パリオ」という中世の伝統的な競馬の祭りが行われる日で、中世風の小旗を掲げた祭り一色の繁華街の人ごみの中を、15分くらいかけて歩き、広場近くに着いた。周囲1km程の広場の周りには鉄の観覧席が作られていて、広場に通じる道からは桟敷に遮られ、入ることが出来ない。やっとのことで入り口を見つけ、広場の中に入ることが出来た。
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広場は宮殿に向かって緩やかに傾斜している。鉄の桟敷の内側に幅10メート程の馬が走るコースが出来ており、その内側も観客席で、売店も設けられていた。祭りで、宮殿の入り口には、中世の鎧を着てナイトに扮した街の若者が立っていた。
宮殿に隣接する102mのマンジャの塔の上から、美しいトスカーナの景色を見ようと塔に登った。1階の切符売り場で入場券を買い、3階まで登ったところに入場口があり、チケットを渡した。ここでは入場券は販売していない。入場口から一人がやっとの狭い階段を心臓が破裂する思いで昇った。ところどころに明かり取りの小窓があり、狭い窓越しに眺める景色がすばらしい。、
展望台の近くまで昇ったところで、「もう限界だ」と言ったら、先に展望台に着いた家内から、「ここからのすばらしい景色を見ないことはない」と叱られ、頑張って展望台まで昇った。塔の狭い窓の隙間からの眺めもすばらしいが、360度の展望は、絵葉書で見る景色とは比べ物にならない。あの辺りが列車の中から見たキャンティーの景色だろうと想像しながら、麦の収穫が終わった枯れ草色の丘に緑の糸杉が点在する風景を楽しみ、眼下の美しいカンポ広場やシエナの町並みを楽しんだ。また、トスカーナを紹介する写真に見られるように、麦が青々した時期のキャンティーの丘の美しさを想像した。
偶然にも「パリオ」に巡りあったのだから見物しようと思ったが、夕方に始まるとのこと、まだ午前10時では夕方までには時間がありすぎるので、見物を断念した。
シエナの落ち着いた中世的な街並はいかにも女性好みの雰囲気である。
タクシー乗り場でのもたつきが影響して予定より1時間遅れの11時43分発のエンポリ行き普通列車に乗り、フィレンツェに向かった。左側に座り、往きとは反対側の景色を車窓から眺めたが、キアンティーの丘側の景色よりも美しく感じた。エンポリで乗り換えフィレンツェに向かった。フィレンツェ到着が1時間遅れの13時30分では、パルジェッロ博物館の開館時間が過ぎているので、ドナテッロのダヴィデ像は見ることは出来ない。
平成13年7月2日(月)、フィレンツェ フィレンツェの写真集へ
エンポリからフィレンツェまでは普通列車で約35分の距離。列車はアルノ川やピサからの高速道路と平行して走り、車窓の景観も、枯れ草色のキアンティー地方とは違って、緑の小高い丘、緑の畑、点在する緑の糸杉など、緑一色のすばらしい景色を楽しみながら、午後1時30分フィレンツェに着いた。3回目のフィレンツェで、ある程度道慣れがある。
パスポートをホテルに預け、ホテル近くのサン・ロレンツォ教会の礼拝堂へ、あこがれのミケランジェロの彫刻を見に行ったが休館日で残念。
徒歩でサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へ行き、修復に12年をかけ今年の4月に教会に戻ったという、ジョットの「十字架のキリスト」や、クローチェ教会のドナテッロのものと比較される、ブルネッレスキの木造彫刻、「十字架のキリスト」を見た。
そこからタクシーでサンタ・マリア・カルミネ教会、サンタ・クローチェ教会、ドゥオーモの洗礼堂と回ってもらった。
カルミネ教会では「楽園追放」など、マザッチョのフレスコ画を楽しみ。ダンテ、ミケランジェロ、マキャヴェリ等の墓があるサンタ・クローチェ教会では、見たかったドナテッロの「十
字架のキリスト」や、ジョットのフレスコ画を楽しみ。天井に描かれた見事な金色のモザイク
を見るため、ドゥオーモの洗礼堂の前でタクシーを降りた(タクシー代50000リラ、2800円)。
洗礼堂で金色の天井モザイク画を見てから、午後7時30分シニョリーア広場のネプチューン像の前を待ち合わせ場所にし、家内達と別れ、思い入れのある絵画「東方の三賢王」を見にリッカルディ宮を訪ねた。リッカルディ宮の入り口は以前と違ったところにあり、今様のデジタル技術を使った部屋が設けられたり、日本語のパンフが置いてある博物館になっていた。
荘厳な「東方の三賢王」の部屋は誰もいなかったのでゆっくりDVカメラに納めることが出来た。リッカルディ宮を出て、次にヴェッキオ宮のフィレンツェの獅子や大広間の壮大な壁画、コジモとその妻の部屋の天井画、イルカを抱いた天使の像などをもう一度ゆっくり見ようと、ドゥオーモの前を通り、ヴェッキオ宮に向かった。途中のどが渇きバールでアクアを買ったら2500リラもした。500リラも高い。
フィレンツェの獅子やイルカを抱いた少年や2匹のライオンの像に迎えられ、ヴェッキオ宮に入った。大広間の壁面は、ダヴィンチの「アンギャリーの戦い」と、ミケランジェロの「カッシーナの戦い」の壁画の競演になるはずだったが、いずれの作品も未完成に終ったとか。
ダヴィンチの「アンギャリーの戦い」は、ルーベンスが模写したといわれる絵を美術書で見たことがある。それに似たデッサンが3階の「イルカを持つ天使」像の近くに掛けてあった。
ヴェッキオ宮を出て、ウフィツイ美術館の前にあるダヴィンチやダンテやマキャヴェリなどの偉人の像の前を通り、アルノ川河畔からヴェッキオ橋を渡って河畔を南下し、サンタ・トリニタ橋を渡ってストロッツィ宮へ向かった。
サンタ・トリニタ橋から眺めたヴェッキオ橋は、夕日に映え、アルノ川の川面に映って実に美しい。
ブップリカ広場を経て、7時30分シニョリーア広場の待ち合わせ場所で家内たちと合流した。途中、本物そっくりの猪の像の前では観光客が鼻や口をなでていた。多くの人がなでるので猪の鼻から口にかけて金色に光っていた。また、ダンテの家の前の道では、ダンテの顔を彫った敷石が1枚あるのを中学生の女の子たちが見つけ教えてくれた。
夕食は前回来たとき入ったシニョリーア広場のレストランでしようと訪ねたが、店は閉まっていた。仕方なく隣のレストランに入ったが、旨くなく、サービスも悪い。不愉快な思いをしてホテルに帰った。
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