7月3日(火)、ボローニア〜ラヴェンナ       ボローニアの写真集

                   

フィレンツェを8時13分発、ミラノ行きのユーロスター(ES)に乗り、9時10分ボローニアに着いた。ユーロスターは日本の新幹線のような列車で、形もひかり号に似ている。リミニまでの乗り換え時間が約1時間49分あるので、タクシーに乗り、1時間30分の予定で、ボローニア大学など旧市街の観光ルートを廻ってくれるよう頼んだ。若い運転手は快く案内してくれた。ボローニアは回廊の街で、タクシーで廻った限り、回廊の無い通りを見つけることが出来なかった。回廊は延べ40kmにもなると運転手は言っ

た。ボローニアにも斜塔があるといって、そこに行ってくれた。中世のツインタワーで、低い方が斜塔だと説明してくれたが高いほうが斜塔のように見える。回廊の町並みを廻るうち、一部分が焼け焦げたような木の地肌が出ているところに案内された。中世に作られたボローニアで一番古い回廊で、木造に大理石を貼り付けて作られているというメモリアルだと説明してくれた。

昼食用にボローニアの有名なハムでパニーノを作ってもらえる肉屋さんがないか運転手に聞いたら、ボローニアでは割と有名なSALUMERIA(サルメリーア)と書いてある食肉屋さんに連れて行ってくれ、そこでお目当てのボローニアハム「モルタデッラ・ハム」のパニーノを作ってもらった。小さい店だが食料品や自家製の豚の腿のままの生ハムやソーセージ、サラミなどがところ狭しとぶら下がっている。在住の日本人もよく買いにくるらしく、気のいい女主人は「おいしいから日本へ持っていけ」としきりに勧めてくれる。「旅行中だから」との言い訳に、女主人は残念がった。親切にしてくれた若い運転手に、チップを含めタクシー代40000リラ(2300円)を払い、礼を言って、10時50分発ローマ行きのユーロスター(ES)でアドリア海側にあるリミニに向かった。駅のバールで買った桃の紅茶と一緒に列車の中で食べた、このパニーノのうまさが忘れられない。

ボローニアは交通の要のようなところで、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ラヴェンナ、ヴェネチア、ジェノバ、ピサ、リミニ、バーリに行く列車の経由地である。リミニまではエミリア・ロマーニャの豊かな穀倉地帯を走る。ロンバルディアやトスカーナとは又違った、小麦畑を中心とした枯れ草色の美しい田園風景を車窓から眺めながらリミニに着いた。サンマルコ共和国にはここからバスで行く。又、アドリア海の避暑地の玄関口でもあり、多くのバカンス客が降りた。

ボローニアからラヴェンナに向かうのに、リミニ経由では三角形の2辺を走るようなもので随分遠回りになるが、どうしてもルビコンを渡りたいという願望から、リミニ経由にした。カエザルが渡ったルビコン川がどこにあるか知りたくて、日伊協会に行って調べ、リミニからラヴェンナに行く途中にあることが分かった。以前ミラノで買った10万分の1の道路地図で調べたが記されて無い。アリタリア航空東京事務所で貰ったイタリア政府観光局(ENIT)無料発行の「チャオ・イタリア」という観光道路地図(イタリア全土を28分割した128頁75万分の1の地図小冊子)で探したら、リミニから3つ目のベッラーリア駅を過ぎたところに、rubicone(ルビコーネ)と小さく書いてある川があった。

リミニからラヴェンナまでは約50kmの距離を、各駅列車で1時間かかる。その3分の2がアドリア海の海岸線を走り、それから内陸に入ってラヴェンナに着く。鉄道と平行に走る道路を見ながら、カエザルは、ラヴェンナからこの道を通ってローマに向かったのかと想像しながら、列車は、海水浴場の立派な避暑地の街を走り、ベッラーリア駅に着いた。この街も大きな避暑地である。ベッラーリア駅を出たところからDVを回した。5分程過ぎたとき、小さな川を渡った。rubicone

それから先には川が無く、やはりルビコンなのだろう。チェルビアという駅を過ぎて、列車は海岸線から内陸に入った。列車は美しいアドリア海の海岸を見ながら走るものだと思いこんでいたが、砂浜の海岸は避暑地の建物の向こう側にあり、結局、海岸を見ることは無かった。

(ルビコーネ)だと思った。

 

 

7月3日(火)、ラヴェンナ          ラヴェンナの写真集

列車は、点在する糸杉、街道らしい笠松の並木、小さな林の向こうに地平線が見える広大で平坦な農地を走りクラッセ駅に着いた。枯れ草色の広大な小麦畑の中に、モザイクで有名なクラッセ教会が見える。そこから5分ほどの午後1時20分、古代ローマ時代にカエザルが統治したラヴェンナに着いた。

ローマ帝国のラベンナは、ローマ、ミラノに次ぐ第3位の都市であったという。出口の反対側には大きな運河がある。カエザルが作った軍港がここにあったのかと想像した。現在のラヴェンナは、エミリア・ロマーニャ地方の唯一の産業港である。

駅前のジョリーホテルに荷物を置き、タクシーで先ほどのクラッセ教会へ向かった。運転手に、ローマに通じる古代道路の遺構はないか尋ねたが、埋めてしまったらしい。クラッセ教会は刈り取りが終わった広大な小麦畑の真ん中にあり、カエザルの銅像が建っていた。

古代ローマ帝国の時代、カエザルが北を統括するためルビコンを渡り、クラッセを拠点の地にしたことを記念するものだという。紀元前1世紀にローマからルビコンを渡りここに拠点を置いたカエザルが、「越えれば人間世界の悲惨、越えなければわが破滅、進もう神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げれれた」といってここから再びルビコンを渡ってローマに向かったのかと思うと感慨深い。

このあたりには古代遺跡が埋まっていることだろうと思った。カエザルが作った軍港はラヴェンナではなく、ここクラッセにあったらしい。クラッセ教会は、天井の梁の木部がむき出しになっていて、日本の古い倉庫を思わせたが、以外に明るく、内陣のすがすがしい青色のモザイク画は、八甲田で見た新緑のブナの林の緑で、とても6世紀に作られたとは思え無い近代的な感覚がする。

教会から戻る途中、人物群のモザイク画があるヌオーヴォ教会やカッテドラーレ洗礼堂など、すばらしいモザイク画の教会やダンテの廟を巡り、サンビターレ教会でタクシーを降りた(タクシー代58000リラ、3200円)。

サンビターレ教会の絢爛豪華なモザイクに圧倒されながら広い庭に出た。教会の売店で家内は2000円位のモザイク細工のブローチを、私はラヴェンナのパンフレットを買った。

日本に帰ってからイタリア展に行ったら、このブローチが8000円で売っていたと言って家内は驚いていた。ガッラ・プラチーディア霊廟を探したら庭の片隅に小さな建物があり、まさかと思ったら、それが霊廟だった。内部は、星のようにきらきら輝くモザイクを見せるため薄暗くしてあったが、明るかったらもっとすばらしいモザイクが見れたのにと少し残念に思った。教会を出てからは家内達とは別行動でラヴェンナを散策した。サンビターレ教会からポポロ広場迄はシックな繁華街が続き観光客でにぎわっていた。

ポポロ広場から駅に向かって直進し、ホテルの前にあるラヴェンナで一番古い5世紀に造られたエヴァンジェリスタ聖堂を訪れた。教会のモザイクは今まで見たものとは全く異なる簡素なもので、動物画はまるで童話の絵本を感じ微笑ましい。ラヴェンナには美しい海水浴場があり、バカンス客でにぎわうとのこと。

街には近く開催されるラヴェンナ・フェスティバルの大きな幕が道路を横断していた。

夕食はホテルで生ハムメロンとアドリア海でとれた海鮮のパスタやリゾットやラビオリを食べた。カメリエーラ(ウェイトレス)に頼んだアメリカンコーヒーがなかなか来ない。近くを通ったカメリエーレ(ウエイター)に「遅い」と言ったら、笑顔で「今、アメリカまで取りに行っている」とユーモラスなギャグが返ってきた。しばらくして申し訳なさそうにカメリエーラが持ってきた。コーヒーを飲んでいると先程のカメリエーレが来て、「アメリカからコーヒーが来ましたか」と笑顔で言った。気の利いた冗談で客を怒らせないこの若いカメリエーレが好きになった。

 

 
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