平成9年10月22日 ローマ        
 
フィレンツェ午後4時発のユーロスターに乗り6時ローマ・テルミニ駅に着いた。
予約しておいたホテルに着いたら、どういう訳か、Via Varese 18 RomaにあるHOTEL VENEZIAを紹介された。テルミニ駅に近い新築したばかりのホテルで、エレベータ周りがまだ工事中であったが、フロントの女性が凄く感じ良く、しかも、サンタ・マリア・マジョーレ教会や、テアトロ・ローマ、ローマ三越も近くにあり、気にいった。
夕食はホテルの近くのプリンチペ通りにあるリストランテに行った。店主が出てきて名刺を呉れた。
名刺の裏には日本語で、リストランテ ラ・グロッタ・アマトリチャーナ ”エゼイドラ” カンパニー
社長 フェルナンド   ローマ ピア プリンチペ アメデオ1/C 月曜日休 TEL48・48・853
と書いてあった。
 
平成9年10月23日、 ローマ
ホテルでゆっくり朝食を取ってから10時頃タクシーでコロッセオに向かった。途中、19世紀の中頃、「祖国統一か死か」、「祖国万歳(VIVA・VERDI、ヴットリオ・エマニエル、デ・ラ・イタリアの頭文字を取ったもの)」、と言って市民達が立ち上がり、オーストリアと戦ったイタリア統一のシンボルであるサルデニア王国の王ヴットリオ・エマニエル2世の美しく立派な記念館を右に見て、10分らいで着いた。
昭和48年に来たときは、コロッセオの周回広場は観光バスが何台も駐車していたが、美しく整備され、観光バスは駐車できないようになっており、観光案内の馬車が何台も止まっていた。
フリューゲルの「バベルの塔」は、このコロッセオをイメージして描いたらしい。
コロッセオの階上からはフォロ・ロマーノ越しに、パラティーノの丘やカンピドリーの丘が間近に見える。
                                                           
 
 
コロッセオを出て凱旋門の脇からフォロ・ロマーノに入り、古代ローマ帝国の政治の中心を歩きながら、カエザルは何処で暗殺されたのだろう、とか、ネロは何処で執務していたのだろうと、古代を忍びながら広大な遺跡を散策し、坂を上がって外に出た。外に小さな公園があり、アルミ板で出来たフォロ・ロマーノの案内図があった。近くでパニーノとジェラードを売る車の屋台があり、パニーノとジェラードを買ってベンチで昼食を取った。
食事を取った後、再びフォロ・ロマーノの方に戻り、大きな教会の奥のカンピドリー広場に向かって歩いた。ミケランジェロの作った広場を、正面の階段を上るのではなく、裏口から来た事になる。
広場にある博物館に入った。カンピドリーのヴィーナスなどおびただしいギリシャ彫刻に圧倒された。
 
 
カンピドリー広場から階段を下りてタクシーに乗り、カンピドリーの丘を半周して真実の口のある教会に行った。随分遠回りしたようだが、タクシーの運転手は、観光案内をしてくれたのだと善意に受け止めた。
教会の入り口に真実の口があった。古代のマンホールの蓋だという。袈裟を着た日本の僧が新婚旅行で来ていて、新妻が口に手を入れている姿を写真に収めていた。袈裟を着た剃髪の僧侶にローマのカソリック教会で出会った事を異様に感じた。
新婚の二人は教会の中には入ず、タクシーで何処かに行った。
タクシー乗り場でタクシーに乗り、パンテオンに向かった。途中、テヴェレ川添いを走る。川の中に島があり、「ローマの休日」のレストランで、ヘップバーンがギターで秘密警察官達を殴る有名な場面の島だと思った。右側に古代劇場のマルチェッロ劇場が見える。
27年ぶりのパンテオンの内陣は美しく、マリアの祭壇も新しく改修されているように思えた。
祭壇の前にはミサ用の折りたたみ椅子が50脚ほど並べてあった。
音響効果も素晴らしいので、ひょっとするとコンサートも開催されるのではないかと思った。
コロッセオより100年ほど経ってから建てられた古代建造物なのに、傷んでいない。ここにはヴットリオ・エマニエル2世やラファエロの墓があるそうだ 。
 
パンテオンから徒歩でトレヴィの泉までは繁華街を通り、15分くらいで着いた。
トレヴィの泉は、以前と比べ、観光客がいっぱいで、後ろ向きに小銭を投げる写真を撮るのに苦労した。
そこから歩いて15分くらいでスペイン広場に着いた。以前は花壇があって、美しいスペイン階段は、花壇が無くなっていて、当時のロマンチックな面影が無くなっていた。
ここも観光客であふれ、階段に座った写真を撮ろうにもその隙間が無く、一番上まで昇る羽目になった。
混雑する有名ブランド店が立ち並ぶ通をウィンドーショッピングしながら、アウグストゥス霊廟の脇にあるタクシー乗り場でタクシーに乗りホテルに帰った。
夕食は、昨日と同じリストランテに行った。例の社長は、私達を覚えていて、来店を喜んでくれ、自慢のシチリア風の料理を推奨した。コック長はシチリア出身という。店に出てきたコック長の顔は、ギリシャの血を引く彫りの深い顔であった。
 
平成9年10月24日、 バチカン       バチカンの写真
 
バチカン美術館の入場はいつも満員の行列になるという事で8時にホテルを出て、テルミに駅に荷物を預け、タクシーで美術館に向かった。入り口近くでタクシーを下りたが、随分長い行列が出来ていて、入場に30分程かかった。ゲーテが人間業ではないと感嘆したミケランジェロの天井画と壁画を見るため、途中素晴らしい天井画やパペストリーの回廊をゆっくり見ることなく、システィーナ礼拝堂に向かった。システィーナ礼拝堂は若い学生達で満員の状態であった。正面の最後の審判のキリストの迫力に圧倒され、天地創造から始まる旧約聖書の物語を描いたスケールの大きさな天井画をじっくり見ていると首が痛くなる。ミケランジェロはこのとてつもない大きな絵画を一人で描いたわけで、神業としか思えない。満員の礼拝堂に20分ほどいて外に出た。中庭にあるギリシャ彫刻の間でラオコーンを見たり、古代エジプトの間やラファエロの間でアテネの学堂などを見て、絵画館に入った。正面にカラヴァッジョのキリストの埋葬があった。中に入った途端ダ・ヴィンチの聖ヒエロニムスが飛び込んできた。
ある美術誌でこの未完成の絵が19世紀の初め行方不明になり1820年頃ローマの古美術商から頭部を欠いた部分が発見され、後に頭部が靴屋から発見されたという記事を読んだことがあり、この絵をバチカンで見つけたことに感激した。頭部の四角の部分がピッタリ合わさったときの感動が伝わってくる。
       
   
       
 
サンピエトロ広場はジプシーのスリが多いと言うので、広場の中を歩くのを止め、古代の城壁沿いを歩いて寺院に入った。寺院から広場を見たら、スリの姿は無かった。
憧れの「ピエタ」は通路から離れたウィンドガラスの向こうにあった。以前訪れたときは、防護のガラスはなく、一昨日フィレンツェで見た「ダヴィデ像」のように間近に見る事が出来た。
22歳のミケランジェロの作だと聞いて感動したが、ガラスの向こうにあるピエタは、以前ほどの感動がない。1972年心ない青年が金槌でピエタ像を毀してしまったと言う大事件があって、バチカンの宝はガラスの向こう側に行ってしまったからだ。
 
             
 
 
広大な寺院の中を感嘆しながら散策している内に、ラファエロの「キリストの変容」を見つけた。想像していたより遙かに大きなレプリカで、本物はバチカン美術館にあった。
          
 
    
帰りは、ジプシーの心配が無くなったので、ゆっくりとサンピエトロ広場を歩き、オペラ「トスカ」のサンタンジェロ城に向かった。古代の城壁沿いを歩いてテレヴェ川の堤防沿いを歩いて、およそ15分くらいで憧れの城の入り口に着いた。入り口は堤防道路から下りた広場にある。政治犯を投獄した暗いイメージの城を想像いていたが、ドーム型天井の上に黒い天使の像を頂いた大きくて立派な城で、中は、薄暗く緩やかな石畳の坂道になっており、坂道の両側は沢山の牢獄がある。坂道が終わり、階段を昇ると、屋上の広場に出た。
トスカの恋人カラヴァドッシが銃殺される場面の場所だ。見上げると、大きな黒色の天使像が間近に見える。追いつめられたトスカは、この大天使ミカエルを見上げながら、刺殺したスカルピオへの憎しみと呪いを込めて、「スカルピオ、神の御前で」、と叫んで飛び降りるフィナーレの場面を想像した。
出口の広場から堤防に上がった。堤防からはローマの市街が一望できた。沢山の彫像を欄干に施したサンタンジェロ城の取り付け橋を渡って対岸に出た。橋の上の両脇は、アフリカの青年達が観光客目当てに橋いっぱいに並んで、いかがわしい品物を売っている。
午後3時ナポリに向かうためテルミニ駅に向かった。
                   
               
  
 
 
 
 
 
平成11年11月1日 バチカン
 
団体のツアーに参加しローマに来た。2年ぶりの訪問である。午前中は観光バスでローマ市街を観光し、午後はシスティーナ礼拝堂をゆっくり見学するため団体とは別行動にした。
バチカン美術館で先ず聖ヒエロニムスを見るため絵画館を訪れたら、残念にも午後からは休館になっていたので、システィーナ礼拝堂に向かった。
礼拝堂は2年前に来たときよりは比較的空いていて、ゆっくり見ることが出来た。
昼食は地下にある食堂で取った。食堂はセルフサービスになっていて、アンティパストが中心の豊富なメニュー皿から好みのものを4品盆に載せ、会計する所に持って行き、料金き表示された料金を支払う。非常に安いのに驚いた。
料理は全て美味しかったが、オリーブオイルと塩で味付けをした野菜サラダが特に美味しかった。
食事を済ませ中庭で小休止した。中庭ではシスティーナ礼拝堂の壁画を説明するポスターが貼ってあった。バチカン美術館の至宝をゆっくり鑑賞し、以前見なかった東洋館も見て廻った。
美術館を出てサンピエトロ寺院に行き、時間に制限がないので隅から隅までゆっくりみてから、寺院の屋上に上った。ドームとの境の回廊までエレベーターで昇る。回廊を歩くとベッリーニの荘厳な天蓋を見下ろす事になり不敬を感じた。
回廊から狭い階段を上ると群像がある屋上に着き、ミケランジェロの作ったドームを間近に見ることが出来る。屋上には売店があり、日本人のシスターがバチカンのお土産品を売っていた。日本人が屋上に来るのが珍しいのか、懐かしそうにして暫く談笑した。お土産にピルケースを買った。
 
 




 
 
         

 




 
 
 
             ナポリへ