6月30日(土)、パヴィア、ミラノスカラ座      写真集へ
 

ミラノからパヴィアには地下鉄M2終点からバスで行くか、ミラノ中央駅から列車でいくかで迷ったが、列車の方が早く着くので、9時10分発ジェノヴァ行きの(IC)で行くことにした。8時30分、娘とホテルで待ち合わせた。

地下鉄ポルタ・ヴェネツィア駅のメトロ前から、トラム5番に乗るとミラノ中央駅に行くが、時間があったので、先に来た11番に乗り、ヴェネツィア門を通って、レップブリカ(共和国広場)で降りた。大通りの正面にミラノ中央駅が小さく見え、左側にミラノで一番高級なホテル・サヴォイアがある。

この通りは、夜は物騒だという。歩いて10分ほどで、彫刻を施した立派で大きなミラノ中央駅の正面に着いた。1階の切符売り場はIC、ES、R、国際列車と分かれているが大変な混みようで、自動機も混雑している。娘は切符の購入に30分近くかかったが、列車が10分程遅れて着いたので乗ることが出来た。(写真はミラノ中央駅ホームにある日付刻印機。改札口は無く、切符に日付を入れて、そのまま列車に乗る)

この列車は、ヴェネチア発スページア(ジェノヴァの先、東リベエラや世界遺産のチンクエテッレの先の駅)行きのインターシティー(IC)で、パヴィアには30分で着く。明日、ジェノヴァに行く時に乗る列車と同じ列車である。

インターシティーは電気機関車に客車を付けた日本で言う特急列車で、インターネットでの紹介は最高時速300キロと書いてあった。

ミラノ中央駅は終着駅だから行き止まりで、その先の線路は一本もない。ヴェネチア発スページア行きの列車はミラノ駅に入り、先頭を逆にしてミラノ発スページア行きのようにして出発する。鉄道の港を思わせる。

今日は、バカンスシーズンの最初の土曜日だから、ミラノ中央駅の20番線以上もある2階のホームは、バカンス客で大変な混雑であった。切符の購入が発車間際であったため座席予約が出来ず、1等の乗車券を購入したが満員の状態で座ることが出来ない。乗降口の窓から、美しい田園風景を眺めていたらパヴィアに着いた。

パヴィアの僧院は、駅から9キロほど離れた街の郊外にあり、駅前からタクシーに乗り15分くらいで着いた。運転手が、「帰りのタクシーを呼ぶよりも待っていたほうが安いから」、と言うのでそうした。料金を払おうとすると、「日本人だから後でよい」という。イタリア人は、東洋系で言葉が話せないのが日本人と決め付けているらしい。娘は、6年以上ミラノに住んでいるので、イタリア語は結構堪能に話す。運転手は、最初は、われわれを日本人と思わなかったらしい。

イタリア語を話す娘は、日本人かと聞かれることがあまりないらしく、いつもチャイニーズ、コーリアと聞かれるので、頭にきて、ジャポネーゼだと言うと、「オーオー」と親しげにするそうだ。

イタリアなどヨーロッパでは、日本人はチャイニーズと聞かれる事が多い。25年前、ヨーロッパに旅行したときもチャイニーズと聞かれ、ジャパニーズと答えたら「オーオー」と親しげにしてきたことを思い出した。

そういえば、ミラノの地下鉄では、中国人や韓国人はよく見かけるが、日本人はあまり見かけない。出稼ぎに来ている中国人や韓国人が多く住んでいるからなのだろう。ミラノのガレリア周辺では、路上で占いや漢字で名前を書く商売をしている中国人や、絹のスカーフやおもちゃを売る韓国人を多く見かける。

僧院では、修道士たちが、広い農園での自給自足生活をしており、記念品を売る売店には、修道士達の作ったワインや蜂蜜やジャムも置かれ、アフリカ人の修道士が売っていた。

以前、サンピエトロ寺院のドームの売店で、日本人のシスターが、ヴァチカンの記念品を売っていて、日本の観光客はあまりドームには昇らないのか、珍しく思われ、親しく話し掛けられたことを思い出した。

ミラノを追われたヴィスコンティ家が、スフォルツァ家に対抗して作ったと言われるパヴィアの僧院の豪華さは話に聞いていたが、教会の中に入り唖然とした。多分、イタリア有数の豪華な教会と思われるが、訪れる人はあまりなく、静かに拝観することが出来た。教会は扉が開けてあり、無料で誰でも入ることが出来る。

観光収入を目的にしない教会に入り、異教徒のわれわれが図々しく歩き回ることには、いささか気が引け、イスラムの国では異教徒はモスクに入ることが許されないと思いながら、浄財を入れる箱に、1万リラを入れた。これからいろんな教会を訪れることになるが、服装を正し、十字を切って静かに拝観することが、われわれ異教徒の最低の礼儀に思えた。

教会の側面の裏には、フレスコ画が描かれた回廊に囲まれた美しい中庭があり、色とりどりの花が咲き乱れていた。その奥にも回廊に囲まれた広い庭があり、庭の奥には修道士達の立派な宿舎が何棟も作られ、宿舎の奥は広大な農園になっている。

中庭の回廊の先は食堂になっていた。教会の食堂に入るのは始めての経験であるが、その立派さに驚き、教会の食堂のイメージが一変した。食堂と言うよりは大広間で、壁画や天井画や見事な家具・調度品がある豪華な会議室に思え、教会の食堂が特別の意味がある場所であるという事を実感した。

レオナルドの「最後の晩餐」は、教会の食堂の壁画である事を中学生のころ聞かされたときから、世界的な文化遺産が、何故、修道士が食事する場所にあったのか、今まで疑問に思っていたが、当時のサンタ・マリア・デレ・グラッツェ教会の食堂もこの様な立派な大広間の会議室であったに違いないと感じ、疑問が晴れた。また、食堂が、教会にとって特別な場所であることを理解して訳していたら、言葉通り食堂とは訳さなかっただろうにと思った。

売店で記念に絵葉書を買って自己宛に送り、修道士達の作った有名なブルーベリーの蜂蜜を買って、待っててくれたタクシーでパヴィアの街に帰った。

気のいい運転手は、街を観光案内してくれると言うので彼に任せた。有名な薬科大学やカルミネ教会やドゥオーモ等を観光案内してくれた。

パヴィアには、権威の象徴として、時の為政者達がこぞって塔を作り、それが100以上あったそうだが、今は、塔を途中で切って住居にしていたり、倒したりして、10カ所くらいしか残っていないと運転手が教えてくれた。

また、「ティチーノという美しい川が流れていて、コベルト橋という500メートルほどの屋根付橋を渡ったあたりから眺めるパヴィアの街の景色はすばらしい」と云って、橋を渡ってくれた。歩行者専用の屋根付橋は、フィレンツェのヴェッキオ橋やヴェネチアのリアルト橋があるが、車が走る幹線道路の屋根つき橋は、おそらく、パヴィアにしかないと思いながら、対岸から、教会のドームや塔を中心にしたパヴィアの街のすばらしい景観を眺めた。コベルト橋から一本西側の橋からの景色もすばらしかった。この橋を渡り、駅までの大通りは、美しい緑の公園道路を思わせる。

人口10万の都市なのに、都市の景観を重視した潤いのある都市づくりに、北イタリアのゆとりと豊かさを感じながら、運転手に礼を言って、駅で降りた。(タクシー代80000リラ、4600円)。

ミラノからパヴィア迄は39キロの距離で、鉄道料金は、特急料金を含め1等で10、500リラ(600円)、2等で8、900リラ(500円)である。日本と比べイタリアの鉄道料金は非常に安い。

帰りはインターシティー(IC)の2等に乗ったが、バカンスと反対の方向でガラ空きであった。午後2時頃ミラノに帰り、中央駅の前のバールに入り、駅前の雑踏を眺めながらおいしいパニーノを食べた。前回もこの辺りのバールに入ったが何処もパニーノの種類が多い。

ホテルに戻り、スーツに着替えて、早めに夕食を済ませ、午後7時、オペラ「トゥーランドット」を見にスカラ座へ出かけた。浅利慶太氏の演出が評判で、チケットが中々手に入らないほどの人気だという。

スカラ座の前には、ドレスアップした婦人やスーツ姿の紳士達が開場を待って並んでいる。

午後7時30分に開場となり、満員の入り口から、天井にはすばらしい装飾が施された赤絨毯のロビーに入り、ヴェルディの彫像の前にテーブルを置いた特設のパンフレット売り場で、日本では考えられない立派なパンフレット(15000リラ、約800円)を買った。右側の奥まったところにバールがあり、飲み物を買おうとしたが満員で買うのをやめ、劇場の中に入り席についた。席は、1階K列n11番、舞台から11列目の右側11番(正面)の席を取っておいてくれた。

パンフレットにはスカラ座での「トゥーランドット」の初演からのものが、スケッチ画や写真で紹介され、日本語で筋書きが書いてあるページもある。浅利慶太氏の紹介ページには、1985年スカラ座で「マダム・バタフライ」を演出したことが書いてあった。

午後8時30分幕が上がり、殷の時代を想定した山岳の砦を思わせる舞台や、カラフの「誰も寝てはならぬ」からリュウの自決までを、

夜の暗い竹やぶにした舞台に驚いた。この舞台装置は、今までのものとはまったく違う初めての試みが評判となり、日本の新聞も、浅利慶太氏のスカラ座での演出が好評を博したと、時事通信発で紹介した。偶然その記事を読みスクラップした。

住んでいる日本人の医者に似ているので声を掛けたということだった。

午後11時30分頃に終演し、ダヴィンチ像のスカラ広場は観劇客で満員の状態である。地下鉄で帰るためガレリアを通り抜け、まだ人出の多いドゥオーモの前の広場に出た。午前0時、天空にはトゥーランドットの一場面を思わせるかのように、満月が近づくことを教える印象的な青白い上弦の月が輝き、ドゥオーモは広場の照明で美しく浮かび上がっていた。(写真は午前0時のドゥオーモ付近)

 
 「ミラノ・スカラ座(トゥーランドット)の観劇雑記へ」
 
 
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