バカンスで満員のミラノ中央駅をAM9時10分発、ヴェネツィア始発スペーツィア行のインターシティーでジェノヴァに向かう。スペーツィアはジェノヴァの先、東リヴィエラや世界遺産チンクエテッレの先にある駅である。
ミラノ駅から15分くらいで豊かな田園地帯になる。パヴィアを過ぎると、地平線しか見えない穀倉地帯になる。
麦の取り入れが終った枯れ草色の畑、とうもろこし畑、広大な水田地帯、ところどころに糸杉の林が点在するすばらしい景色が続く。
北イタリアのロンバルディア州は、カリホルニアに次ぐ豊かな土地と聞いていたが、それを実感した。1時間ほど過ぎると州境と思われる山並が見え始め、リグーリア州に入ることを知らせる。それから30分ほど過ぎた辺りから、山の中腹まで家が並び、ジェノヴァの街に来たと思った。
トンネルを抜けたところがジェノヴァ・プリンチペ駅で10時45分に着いた。ジェノヴァにはもう1つブリニョーレ駅という大きな駅がある。
バカンスシーズンの最初の日曜日で、駅も街も人通りがなく、店もバールしか開いていない。
駅前の広場にある巨大なコロンブスの像を左に見ながら、通りを真っ直ぐ下り、王宮の中庭から港を見たが、高架道路に阻まれ、美しいと聞いていた港は見えない。更に通りを下ると、トンネルが見え、それを避けるため右に折れた。店は多いが1軒も開いていない。ジェノヴァはとてつもなく暑い。アクワ(ミネラルウオーター)を飲みながら、しばらく直進すると白い宮殿、赤い宮殿、市庁舎などの宮殿が立ち並ぶ通りに入った。サミットを控え、すべて工事中である。後方からクラクションを大きく鳴らしながら走ってくる車の一団に、何事かと振り返ると、教会で結婚式を終えたばかりの新郎新婦が、アンテナに白いハンカチーフで作った花を付けた車に乗り、それに続く4、5台の車列だった。新郎新婦の車に手を振ったら、新婦がうれしそうに微笑んで、小さく手を振った。昨日もパヴィアの教会で結婚式に出くわし、今日も又とは縁起がよいと思いながら、人気の無い目抜き通りを歩いているうちに、アカデミア宮殿のあるフェッラーリ広場に出た。ここも工事中である。ジェノヴァで一番にぎやかな広場も、熟年のアメリカの観光ツアーが1組いるだけの淋しさで、バカンスシーズンの最初の日曜日のジェノヴァは死んでいるように静かである。アカデミア宮殿の中にはオペラハウスがあり、ドン・カルロのポスターが目に止まった。
アカデミア宮殿の隣に、1軒だけバールが開いていたので、そこで昼食をする事にした。アメリカの熟年の観光ツアーもここへ食事に来た。店の中で好みのパニーノとコーラを頼むと若いカメリエーラ(ウエイトレス)が道端のテラス席に持ってきてくれる。食事を終え、ゆっくり休んでから、広場の近くにあるドゥカーレ宮殿に向かった。サミットが行われるドゥカーレ宮殿のあたりも工事中で、こんな調子だと、ジェノヴァの街はすべて工事中なのかも知れないと思いながら、サン・ロレンツォ教会に着いた。
白と黒の大理石を交互に配した個性的で立派な教会は、幸いにも開いており、見事な内陣を見ることが出来た。教会の前にある宝物舘は、日曜日で休館のため、真偽はともかく、キリストが最後の晩餐で使った聖杯と、サロメがヨハネの首を載せた皿は見ることが出来なかった。
ジェノヴァは、豪華な宮殿や建物が立ち並ぶ、山を背にした港街で、神戸に似ている。山側からのすばらしい景色を見ようと、フェッラーリ広場に戻り、普段ならにぎやかなはずの9月20日通りの回廊をタクシーを求めて歩いたが、日曜日で、しかも、誰も歩いていない繁華街のタクシー乗場には、タクシーなど来る筈も無く、ブリニョーレ駅のタクシー乗り場まで歩き、そこでタクシーに乗り高台に向かった。運転手は若い女の子で、2ヶ月前にライセンスを取ったばかりだという。タクシードライバーのライセンスは国家試験で取るのだそうだ。イタリアは観光立国の国だけあって、ガイドやタクシーの運転手などのライセンスは、国家試験で取らなければならず、簡単になれる職業ではないと思うと、運転手を尊敬してしまう。高台からの眺望はすばらしいが、夏はかすんでぼんやりしている。秋から冬にかけてなら、かすむ
ことが無く、さぞ美しい眺めであろうと思う。高台は、やはり金持たちの高級住宅地なのだそうだ。
高台から港に降りて港内を周回した。日本では見られない豪華客船が3隻停留している。そのうちの一番大きな豪華客船がサミットの宿泊施設に充てられるのだそうだ。
プリンチペ駅でタクシーを降りた(タクシー代47000リラ2800円)。駅の待合室には立派な天井画があった。
7月1日(日)、ピサ
15時27分ジェノヴァ・プリンチペ発ローマ・テルミニ行きのICに乗りピサに向かった。ブリニョーレ駅を過ぎた辺りから列車はリグーリア海の海岸線沿いを走る。東リヴィエラ、チンクエッテレを過ぎると内陸に入り、スペーツィア駅で停車した。リグーリア海の海岸線はどこか日本の景色に似ていて、海岸のところどころではバカンスの海水浴客でにぎわっていた。スページアを過ぎ内陸を走るうちに、大理石を採取する白っぽい石灰岩の山並が見えはじめ、1m角長さ3m位の立方形の大理石材が、1kmほどにわたり置いてあるカッラーラの大きな大理石積み出し駅を通り過ぎた。東海道の松並木と同じだと思いながら、笠松並木の街道や遠くに山が見える美しいトスカーナの田園風景を眺めて居るうち、17時35分ピサに着いた。
ピサはジェノヴァとは違い、リックを背負ったバカンス客がごった返し、タクシーに乗るのに30分も待たされて、6時頃30分、ドゥオーモ広場近くの、ホテル・ドゥオーモに着いた。2年前にピサを訪れたときは下半身がずぶ濡れで、斜塔がかすむほどの大雨に出くわし、ゆっくり見ることが出来なかった。ホテルからドゥオーモ広場までは2分くらいの距離。夕方の7時(夏時間であるため日本では8時)というのに夕日がドゥオーモや斜塔を照らして美しい。ドゥオーモ広場は観光客でにぎわい、特に韓国と台湾からのツアー客が目立つ。日本の観光ツアーはピサを宿泊先に
していない所為か、この時間は見当たらない。閉館時間が7時30分まであったので、ドゥオーモだけ見学が出来た。ホテルの前の通りを、ガリレオがいた大学(右の写真辺り)の前を通って、人通りの少ない旧市街を歩きながら、午後8時アルノ川に出た。河畔の両側には建物が建ち並び、フィレンツェのアルノ川の河畔の景色によく似ている、それが夕日に映え実に美しい。河畔の美しい景観を眺めながら、河口が近いのに、この美しい流れはどうゆうことなのだろうと思った。駅からドゥオーモ広場に行くときに渡るソルフェ
リーノ橋の下では、老人が小船に乗り、長い竿を出してのんびり釣りをしていた。夜はホテルのレストラン
でピサの海で捕れた魚介類のパスタやリゾットを楽しんだ。カメリエーレのチーフが席に来て、「味付けには自信がある」と言って、オリーブオイルと塩だけですばらしい味の生野菜のサラダを作ってくれた。バチカン美術館の地下にあるセルフサービスの食堂で食べたオリーブオイルと塩だけで味付けした生野菜のサラダのおいしさを思い出した。