7月7日(土)、トリノ
日帰りでトリノに向かう。10時ホテルを出て、ミラノ中央駅11時15分発のICに乗った。白鷺が舞い降りる緑の水田の景色は、日本と同じであることに驚きながら美しいロンバルディアの水田風景を眺め、13時トリノに着いた。
列車はヴェネツィア、トリノ間を走るICで、バカンスでトリノの親類の家に行くというパドヴァから来た家族と一緒の席に乗り合わせた。娘は、可愛い6年生の女の子と仲良くなり、女の子から日本語で名前を書いてくれとせがまれた。イタリアではよくあることらしい。娘は、漢字は中国語だからと言ってカタカナとひらがなで書いてやった。家族はホームで娘と記念写真を撮り、可愛い女の子はEメールを送ると約束をし、別れた。
トリノはトリュフで有名だからと、昼食は、駅前のジョリーホテルのレストランで、トリュフソースのパスタやリゾットやラビオリを食べた。駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗りトリノの市内観光を依頼した。運転者に地図で行き先を示したら、市内観光は任せろと言う。土曜日の所為か街は人通りが少ない。
駅前からローマ通リを通りカスッテロ広場で降りた。広場周辺は世界遺産に指定されている地域で、マダーラ宮殿やテアトロ・レッジョを見物し、王宮やドォーモの辺りを一周して王宮の前で降りた。左側の聖骸布があるドォーモは土曜日は開いていないとのこと。十字架からおろしたキリストを巻いた麻布に、遺影が浮き出てるという聖骸布の写真があるらしいが、見ることが出来ず残念。
バチカンが布の一部をイギリスの大学でバクテリア鑑定してもらった結果、聖骸布は、12世紀に作られたものというのが定説らしいが、ダヴィンチが作った物とか、バクテリアは成長するものだから、古い菌を食べたのだとか、諸説様々、こういうものには、科学が入らない方が夢があっていいのに。モーレ・アントネッリアーナに向かい、塔の前で降りた。160メートルもある塔でカメラに入らない。
ポー通りを通ってヴィットリオヴェネト広場に行き、エマニエル大橋でアルプスを源とする美しいポー川の河畔を眺めた。大橋の欄干には、いくつもの大きなヴェランダ用の花盛り鉢が置かれ、日本には無い美しい光景に、環境美を大切にするトリノの豊かさを感じた。昨年の大雨でポー川が氾濫し、この辺りも大変な被害だったとのこと。橋を渡って、サンタ・マリア・デッラ・モンテ教会のある高台に向かった。高台は展望台になっていて、ポー川に囲まれた美しいトリノの街の向うにアルプスの山脈が一望できるすばらしい景色を満喫した。澄み切った日には左手にモンブランが見えると運転手が説明してくれた。
高台を降り、ポー河畔を走って、共和国広場近くにある古代ローマの遺跡を見た。都市再開発で掘っていたら遺跡が出てきたのだと説明してくれた。
トリノの都市景観は、フランスの影響を色濃く感じ、イタリアの都市と言う感じがしない。回廊は25kmもあり、イタリアで一番だと運転手は自慢した。ボローニアの回廊は40キロになると運転手が言っていた、と言ったら、あんな小さな町に、そんなにある筈が無いと、運転手は頑張った。ローマ通りはローマに通じる道で、フランス通りはフランスに通じる道なのだろうと思いながら、市役所の前やフランス通を走って、カスッテロ広場でタクシーを降りた(タクシー代70000リラ、4000円)。
トリノはオリンピックの開催を祝う幕が街中に下がってる。
ガリバルディー通りを歩いたり、ポルタヌオーボ駅までのトリノ一番の繁華街ローマ通りをウィンドーショッピングをしながら歩いた。この街は観光客が少ない。人通りが少なかった通りも、夕方になると、嘘のように、胸を張って闊歩する若者であふれだした。フィアットの街トリノは若者が元気だ。サンカルロ広場で、二つ並んだサンカルロ教会とクリスティーナ教会を見ながら、駅前の公園のようなカルロ・フェリーチェ広場を散歩し、トリノ・ポルタ・ヌオーボ駅に着いた。立派な駅の構内を、警官がゴルフ場にあるような電気自動車に乗って、警らしていたが、ミラノのような混雑状況ではない。
17時7分発ヴェネツィア行きのICに乗り、18時45分ミラノに着いた。ミラノまでは列車の通路に出て、アルプス側の景色を撮影した。
緑の水田や黄色のひまわり畑の遥か向うに、アルプスの山々が見える。山並みが見えなくなるとロンバルディに入る。見渡す限りの水田風景は、キアンティー地方とは又違う美しい景色で、今まで見たイタリアの田園風景の中では1番美しいと思った。