エミーリア・ロマーニャの主要都市を訪ねるため、ミラノ中央駅9時5分発クロトーネ行きのICに乗り、ピアチェンツァに向かった。イタリア半島の南端の町クロトーネには23時55分に着く長距離列車で、混んでいる。
小麦の収穫を終えたエミリア・ロマーニャ州の田園風景と、列車と平行して走る笠松並木のエミリア街道を眺めながら、川幅の広いポー川を渡リ終えると、人口12万人の中世の街ピアチェンツァに着いた。豊かな穀物地帯を造るイタリアの母なる川ポー川は、何処で見てもどっしりした優しさと威厳を感じる。
ミラノからピアチェンツァまでは70キロ、ICで40分の距離にある。
ピアチェンツァの駅は意外に大きな駅で、操作場のような線路の数と沢山の貨車が停留していた。産業都市かも知れないと思った。日本と違いイタリアは貨物列車の需要が多いのか、どこの駅にも貨物列車の引き込み線があり貨車が止まっている。
駅には荷物預かり所が無く、コインロッカーに手荷物を入れた。コインロッカーは日本語でも説明書きが出る便利なものだが、鍵ではなく、バーコードを読み取って開けるものなので、ちょっと不安になったが、後でとんでもないことが起きてしまった。
タクシーに乗り、1時間半の予定で市内観光を頼んだ。ピンクがかった乳白色の立派なドゥオーモを拝観し、ファルネーゼ宮殿に向かった。宮殿の辺りには、今までに見たこともないツバメの大群が飛び交っていた。運転手も、こんなことは初めてだと驚いていた。宮殿の庭で野外コンサートを開催するのだろう、沢山の椅子を並べていた。
ピアチェンツァで一番中世の町並みが残っている地区に案内された。古い教会や大きな屋敷が目を引く。ピアチェンツァの街を走っているとやたらと教会が多い。運転手が言うには、ピアチェンツァには65の教会があるのだそうだ。国立のピアチェンツァ音楽院を訪ね、市庁舎のある街の中心のガヴァッリ広場でタクシーを降りた(タクシー代50000リラ、3000円)。広場の近くに劇場があり、オペラ「椿姫」の上演ポスターが貼ってあった。イタリアはどこの町に行っても必ずオペラ公演のポスターがある。広場に続く繁華街をウィンドーショッピングして、カヴァッリ広場からバスに乗って駅に向かった。
イタリアはバス交通が発達しており、何処の町に行っても、町の運営するバスが走っている。駅に着いて、ホームのコインロッカーから手荷物を出そうと、チケットのコードを読み取機に当てたが、ロッカーが開かない。いろいろ走りまわり尋ねた結果、切符売り場の駅員のところで処理してくれることが分かった。駅員がいろいろ操作し、やっとロッカーは空いたが、既に20分以上経過しており、12時発の列車には乗れないと諦めていたら、運良く、列車が25分遅れて到着したので、予定通りモデナに行くことが出来た。今回のイタリア旅行はいろいろハプニングが起こるが、結果は、全てうまくいっており、何かに守られている気がする。
7月9日(月)、モデナ
モデナにある世界遺産の大聖堂を見るため、ピアチェンツァ25分遅れの12時25分発サレルノ行きICに乗り、モデナに向かった。糸杉と思われる並木の道のエミリア街道は相変わらず鉄道と平行して走っている。街道の向こうにはエミリア・ロマーニャの美しい田園地帯が広がり、小麦の収穫が終わって家畜の餌にするのか、農地のところどころには茶色になった麦わらを2m程の車輪状に丸めたものがいくつも置か
れている。2本のポー川の支流を渡り、パルマを過ぎて、13時25分モデナに着いた。
やたらとアフリカ人が目に付いた。フェラーリやマセラッティの拠点だから、世界から働きに来ているのだろうと思った。
駅前の広場は、日本の地方都市と同じように自転車が所狭しと置いてある。
駅前のタクシー乗り場で1時間半の予定で市内観光を依頼した。最初にドゥカーレ宮殿に向かった。立派なものでエステ家の居城だったと話してくれた。イベントコンサートがあるのか、宮殿前の広場には特設の観客席が作られている。大聖堂のあるグランデ広場に向かった。
世界遺産のドゥオーモは15時30分まで待たないと開かないとのこと。大聖堂を見るためモデナに来たのだが、15時54分の列車でパルマに向かうことになっており、外観を見るだけになってしまった。ピンクがかった乳白色の大理石の大聖堂と、100メートル位ある鐘楼は、世界遺産にふさわしい見事なもの。正面の大きな丸い花窓は、多分、ロンバルディア・ロマネスク様式のものとか。入り口には、日本の狛犬のように獅子が座り、大聖堂を見張っている。ドゥオーモの前に市庁舎があった。フェラーリが住んでいた邸やフェラーリが市に寄贈した有名な彫刻家のモニュメントの前やオペラ劇場等を見てムゼイ宮殿に
向かった。運転手は時間があるからと、モデナの町をあちこち廻り駅に着いた(タクシー代39000リラ、2200円)。のどが渇き駅の構内にあるバールで冷えた桃の紅茶を買った。構内にはマクドナルドもある。そういえば、今まで訪れた駅の構内には必ずマクドナルドがあった。ミラノにも結構ある。食の国イタリアでもマクドナルドはイタリア風にアレンジした商品を開発し人気があるのだ。
パヴァッロティが生まれた町モデナで、有名なバルサミコを買うことを忘れてしまった。
7月9日(月)、パルマ
小説パルムの僧院のパルマに宿泊するため、モデナを15時54分発のラピドに乗り、16時24分パルマに着いた。駅からタクシーに乗りホテルトリノへ。ホテルは町の中心にあり、ドゥオーモ広場には5分くらいで行ける。パルマはヴェルディと縁が深く、ファルネーゼ劇場やテアトロ・レージョや街角には、大きなヴェルディの肖像に2001年ヴェルディーフェステバルと書かれた、大きな幕のポスターが垂れ下がっている。
ステッカータ教会では、夕べの祈りのパイプオルガンが演奏され、荘厳な雰囲気を味わった。教会にはイエスに乳房を含ませるマリアの絵があり、「ステッカータのマドンナ」というお守りのカードが自販機で販売していたので購入した。薄いピンク色の大理石で作られた見事な大聖堂や洗礼堂やサンジョバンニ教会の壁画や天井画など、パルマは「聖母被昇天で」代表されるコレッジョであふれている。
サンジョバンニ教会の前のジェラート屋さんに立ち寄った。客がパルマで一番おいしくて安いジェラート屋さんだと教えてくれた。明るくて可愛い二人のお嬢さんが売っていた。
サンジョバンニ教会から繁華街モッジーニ通りに出た。
ウィンドーショッピングしながらパルマ川に掛かるメッゾ橋の橋詰めを降りるとメルカートのような商店街があった。橋を渡って右に折れ河畔を歩くとトスカニーニの生家がある。メルカートのような商店街を抜けるとピロッタ宮殿の横に出た。宮殿に沿って正面の広い広場に出てファルネーゼ劇場の前のガリバルディ通りからマッツィーニ通に出た。パルマはきれいで豊かさを感じる街で今までに訪れた都市の中では一番魅力的で住んでみたいと思った。パルマはイタリアで一番住み易い都市なのだそうだ。
夕食は、ホテルで紹介された、パルマのコンセルヴァトーリオの近くにあるトラットリア・コッリエーリ(TORATTORIA CORRIERI)に行った。アンティパストは言うまでもなく生ハムを注文した。私は何処のレストランに行ってもアンティパストは決まって生ハムメロンを注文した。それは何よりもおいしくて安いからである。皿一杯に盛られた自家製の生ハムが来た。それは今までに味わったことのない絶品のおいしさで、後で食べたプリモの味を忘れてしまった。客は必ず生ハムを注文する。旅行客の少ないこの大きなレストランは地元の客で満席になっていた。
午後9時半頃、レストランからホテルに帰る道すがらのマッツィーニ通に面した商店の前の歩道を圧縮ホースで清掃し、チューインガムの食べかすを削り取りっていた。パルマの豊かできれいな街は、こうしたことが日常行われているからと思った。