7月10日(火)、パルマ〜コモ       

 

朝8時30分、パルマのホテル・トリノを出てガリバルディ通を駅に向かって歩いた。途中肉屋さんが開いていたので、真空パックの生ハム足1本と有名なモデナ産のバルサミコ、朝食用のパニーノ、エビの塩ゆでオリーブ和え、なすのオリーブ炒めを買い、駅まで歩いた。

コモ(写真)に向かうため9時28分ミラノ行きICに乗った。

私たちの前の席にテリアを連れた中年の女性が座っていた。南アフリカ出身だと言う。小型のテリア犬は彼女の隣でタオルにくるまり大人しくしている。

旅行中、ホテルやレストランで犬を連れた客をよく見かけたが、列車の座席に置いていたのには驚いた。座席で生ハムのパニーノやエビの塩ゆで、なすのオリーブ炒めを食べたが、犬は上目遣いに私たちを眺めているが、ほしがりもせず、そのうち丸くなって眠ってしまった。躾がきちんとしているのに驚いた。

パルマからピアチェンツァ迄が約1時間、ピアチェンツァからミラノ迄が約1時間で、午前10時40分にミラノに着いた。

ミラノ中央駅の国際列車発着3番ホームから午前11時25分発ドイツ、ドルトムント行きICに乗り、12時5分思い出の町コモに着いた。途中から強い雨が降り出した。2年前に来たときもひどい土砂降りに遭い、今回も雨かと愚痴を言いながら駅からタクシーに乗り、コモ湖畔のメトロポール・スイスホテル(写真)に着いた。

ホテルのレストランで昼食を食べているうち雨がやんだ。斜め向かいの席に4人づれの日本人の家族が座った。ミラノのホームでDVを回していた坊主刈りの青年の顔は、どこかで見たような気がするが、思い出せない。

食事を済ませ、2年前の11月、観光シーズンが終わった静かなコモ湖に来たとき、フニコラーレ駅近くの湖畔にスロープが造られた舟寄せ場で、人なつっこい2羽の白鳥が私たちを見て、スロープを上がって近づいてきた。

ミラノのノルド駅近くのバールで買った食べ残しのチョコレートが入ったパンを持っていたので、それを娘が手渡しでやったら、パンと一緒に指先も噛まれたところを写真に撮ったり、強烈なチョコレートの甘さに驚いたのか、白鳥が湖水の水をがぶがぶと飲み、また上がってきてパンを欲しがった愉快な光景など、楽しい思い出のある場所に行った。白鳥に再会したらレストランから持ってきたパンをやろうと楽しみにしていたが、白鳥は一羽もいない。がっかりして持ってきたパンを鴨の親子にやっていたら他の鴨がやたらと集まってきた。

山頂からコモ湖を見ようと、フニコラーレに乗り、山頂のブルナーテに向かった。駅の上の山頂には立派な教会があった。山頂の駅の周辺は別荘ばかりでコモ湖の景色を見る場所が見あたらない。山を登って教会まで行けば、きれいな景色が見れたと思うが、時間が無いのでやめた。

山頂駅の付近はイタリア領なのにスイス国境に近いせいか、娘の携帯電話は、電波の関係でスイス圏になっており、山頂から電話を掛けると国際電話になってしまうと言って驚いた。

ケーブルカーからコモ湖の美しいパノラマが見られると思い、ケーブルカーの運転席近くに陣取ったが木が邪魔をして、ほんのわずかの隙間からしか眺めることが出来ない。がっかりしながら戻ってきた。                  

家内と娘は、絹の店やコモの繁華街に行くので、私はコモ湖の船着き場から一番近いトルノという町を往復する定期船に乗り、2年前に来たとき、船上から見た美しい紅葉の町(写真)を見ようとチェルノッビオで降りた。ここは避暑地なのだろう、大半の乗客が降りた。船着き場の前は広い公園になっていて、廃船を利用した花壇にインテリジェンスを感じた。公園の向こうは湖畔に面してリゾートホテルが立ち並んでいる。

公園の左側は美しい紅葉を見せていた大木が青く茂っていた。岸壁では、地元の人たちが小魚を餌にしてリールで釣りをしている。小魚はもとより大型のレインボーも岸近くまで周遊してくるのが見えるので、それを釣るのだろう。

公園を出て町の教会を見て、次の定期船に乗った。そういえば2年前に来た時は観光シーズンが終わっていて、チェルノビオを過ぎた辺りから乗船客は私達の家族とドイツから来た熟年夫婦の5人だけとなり、船員が娘を運転室に案内し、「運転してみるか」と終点のトルノまでラダーを握らせてくれた。

舵を握っているところを写真に撮ったり、2人の船員と記念写真を撮ったことを思い出しながら、ひょっとしたらそのときの船員に会えるかも知れないと思い、写真を持って来なかったことを悔やんでいるうちに終点の町トルノに着いた。

小さな町の舟だまりの前には1軒のレストランと教会があり、教会の天井や壁にはフレスコ画が描かれてあった。イタリアでは、小さな町の小さな教会でも、壁や天井いっぱいにキリストに関わるフレスコ画が描かれている。

30分間隔の定期便が時間通りに到着し、それに乗ってコモに帰った。

ボルタ記念館(電池の発明者ボルトの記念館)のある湖畔の公園(写真)を散策しているうち、レストランから持ってきたパンがポケットに残っていたのに気が付き雀にやった。ブレラの前のバールでも経験したように、雀は、人を怖がることなく平気で足下にやって来てパンを啄んだ。

夕食は、ホテルのレストランでディナーコースを注文した。コース料理は一人50、000リラ(2600円)と以外に安い。

向こうの席に座っているドイツ人の母と娘は、ナイフとホークでパスタを2、3センチくらいに切り、口に入れていた。我々日本人は、イタリア人の食べ方をまねて、ホークにパスタをくるくる巻いて食べるのに、ドイツ人は、日本人がライスをホークにのせて食べるように、パスタを細かく切ってホークに乗せて食べている。頑固に自分たちの食習慣を守るドイツ人のアイデンティティーを見るような気がする。

学会があったのか、学者らしい日本人と韓国人の一団も食事をしていたが、酔っぱらっていたのか、日本にいるような気分で、ホテルの前で大騒ぎしたり、ホテルの待合室を占拠するなど、傍若無人な振る舞いに恥ずかしい思いをした。

夕食を済ませ、暫く部屋に休んでから午後10時過ぎ、夜のリゾート地の散策に出掛けた。日本のリゾート地の夜は、若者がたむろしてわいわい騒ぎ、騒々しいのだが、こちらは、のんびりとバールで飲み物を楽しんだり、湖畔を散歩する人を見かけるが、静かで、いかにもリゾート地の夜と言った雰囲気である。

薄明かりの船着き場の岸壁にカルガモの親子が私達を見ている。例のパンが残っていたのでやったら、小ガモが一生懸命それをついばんだ。

翌朝7時に起きて、家内と湖畔や早朝の人気のない繁華街を散歩し、朝の礼拝が行われている立派な大聖堂を訪れた。教会の中は薄暗く、見事なタペストリーをはっきり見ることはできないが、荘厳な感じがした。ドゥオーモの中には絵画が意外に少ないのに疑問を感じた。

ひょっとしたら、占領したナポレオン軍が、剥がして持っていったのだろうと思った。

 
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