7月11日(水)、ルガーノ〜ミラノ
コモのホテル・スイスで朝食を済ませ、10時7分コモ・ジョバンニィ駅でハンブルグ行ICに乗り、約50分でスイス領ルガーノに着いた。
コモ駅で、1等車の止まる先端のホーム辺りで列車を待っていた。アジア系の男性4人が私たちに近づき、じろじろ見た。何かされるのではないかと用心した。列車が到着したら、彼らは2等車に乗った。2等車に乗るのに、1等車が止まる付近をうろつく不自然さを思うと、誰もいないホームの先端は危険だと感じた。
列車に乗り座席を探していたら、昨日、コモのホテルのレストランで見かけた坊主刈りの青年が座っていた。何処に行くのかと声を掛けたら、昨日はミラノに戻り、今日ミラノから乗ってルガーノに行くと言った。
私たちの席には若い女の子達が座っていた。途中から乗ると、大抵、座席指定を取っていない乗客が座っている。切符を見せると、ばつが悪そうにして席を譲った。
コモを過ぎると、列車は、山の中を走り、それを越えると、高速道路が平行して走る。そのうち、美しいルガーノ湖が見えて来た。10分程、車窓から湖の美しい景色を眺めているうちにルガーノ駅に着いた。駅は高台にある。ホームのコインロッカーはイタリアとは違い、日本と同じ鍵式なので安心して手荷物を入れた。
駅の中にある両替所でスイスフランに換え、フニコラーレという登山電車に乗り、3分くらいでルガーノの商店街の中心に着いた。
駅前の大きなパン屋さんでホットドックを焼いていた。美しいルガーノ湖畔の景色を眺めながら、ベンチに座って食べたくなり、買った。
色鮮やかで品数の多い果物を売っている店や、綺麗に配置した花々をウィンドウに飾った店など、豊かなスイスが感じられる。
花屋、果物屋、パン屋などの店を過ぎると、ブランド店、ブティック、レストラン、バールが建ち並ぶ規模の大きな美しい商店街の町並みが続く。商店街のバールに立ち寄り、美しい商店街の町並みを眺めながらお茶を飲んだ。
店を出て10分ほど歩くとルガーノ湖畔に出た。
湖畔は観光客が多くて、ベンチは空いていない。美しいルガーノ湖畔の景色を眺めながら、ベンチに座ってのんびりホットドッグを食べる贅沢な望みは叶えられず、歩きながらほホットドッグをほおばった。
旧式蒸気機関車(ボイト)の形をしたトレーラーに5台ほどのオープントロッコを付けた、オモチャのような車両が停留場に止まっていた。観光用に湖畔道路を走るトレーラーバスなのだろう。
湖畔を散策し、ルガーノ湖の一番近い町を周回する観光船に乗って1時間半ほどの船旅を楽しんだ。船は3カ所の町を廻ってルガーノに着く。
それぞれのリゾート地は、プチホテルが湖面近くに建ち並んでいる。リゾートに訪れる観光客は最寄りの船着き場に着くと大勢が乗り降りする。
ルガーノ湖はアルプスに近い。美しい景色を眺めながら小規模な周遊を楽しんで観光船を下りたとき、突然、4機のスイス空軍のジェット戦闘機(写真)が低空で飛んできた。
約10分ほど、ルガーノ湖や繁華街の上空を猛スピードで低空飛行し、飛び去った。
観光客は、ジェット戦闘機に襲われる怖さを味いながらシャッターを切っていた。ここはイタリアとの国境の町である。赤に白十字のスイス国旗を、両翼と胴体につけたジェット戦闘機の示唆飛行に、小さな中立国、スイスの国防姿勢を感じた。
湖畔から繁華街をぶらぶら歩き、フニコーノに乗って高台のルガーノ駅に15時30分に着いた。15時48分発のCISでミラノには約1時間で着く。
CIS(写真)は、ミラノからスイスを経てドイツを走る、イタリア国鉄が誇る最新鋭の新幹線で、乗るのを楽しみにしていた。
ホームの待合室でCISを待っていたら、イスラムの黒い着物を着た、子供連れの中年女性がて入ってきて、隣りに座っていた裕福そうな中年のイタリア婦人に、「バーリに行く金がないから恵んでくれ」とせがんだ。多分バルカン半島のどこかの国の難民なのだろう。
婦人は、財布から5万リラを出して渡した。イスラム服の女性は、「これでは足らないからもっとくれ」と図々しいことを言う。婦人は、これ以上恵む理由がないこと、隣は外国の旅行者だから、無理を言ってはいけないと、私たちのことを気遣ってくれた。親子は待合室を出ていった。
しばらくして、シュトゥットガルト発ミラノ行きのCISがホームに入ってきた。車窓からルガーノ湖が消えた辺りで、先ほどの親子ずれが、例の台詞で、金のむしんに来た。ヨーロッパは改札口が無いので、この種の者が乗り込み、便所に隠れながら、無賃乗車でイタリア半島の先端まで行くのだそうだ。列車の中まで来て金をせびりに来ることは、今日までの鉄道旅行で一度も無かった。
イタリアが誇るCISの1等車まで入って来て、金をたかりにくるのには閉口した。CISに乗る客で、特に、1等車の乗客はたかりやすいことを知っている常習者なのだろうと思った。しばらくすると、スイスの検札官が二人、厳しい顔でチッケットとパスポートの検札に来た。変な人間が乗っているとの通報があったのだろう。コモを過ぎた辺りで、今度はイタリアの検察官が二人来た。行きのICでは、国境を越えても検札がなく、異常事態であったのかもしれない。
イタリアとドイツを結ぶ鉄道は、アルプスの谷間を縫って走るので、カーブが多い。国際列車CISは、カーブを高速で走り、しかも車両は常に水平が保たれ、最高時速350キロ以上を出すという高性能列車で、ゆったりと平行に揺れる乗り心地は、日本の新幹線「のぞみ号」より優れていると思った。
16時43分、ミラノ中央駅に着いた。時間があるので、地下鉄で運河のある繁華街ナヴィリオ地区に行くことにした。ポルタ・ジェノヴァ駅で降り、繁華街を10分程歩くと運河に出た。近くに中世の洗濯場跡がある。
運河は、レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノの都市計画で設計した名残らしい。川幅の広いもの、中位のもの、狭いものの3本あり、中位の運河沿いにはミラノでも有数の大きなメルカート(市場)が立つとのこと。狭い運河には水上レストランがある。
メルカートが立つ運河の両脇に立ち並ぶ商店街と3つの運河を散策して、午後9時過ぎ、夕暮れの薄明かりの運河に掛かる橋の上でトラムに乗り、約1時間の夕闇のミラノの町並みを眺めながらホテルに帰った。この路線は新型のトラムが走っていて、ローマ門とヴェネツィア門の遺跡を結んでいる。
ホテルに帰り、ふと、例のどこかで見た坊主狩りの青年は、サッカーの高原選手のような気がした。