7月12日(木)、ミラノ          
 
 

午前9時、ホテルで精算を済ませ、ダヴィンチの考案したヘリコプターや飛行機など多くの模型が展示してあるダヴィンチ科学博物館(写真)に行った。有り難いことに、博物館には日本語のパンフレットがおいてあった。科学館の近くには、ミラノ最古の教会、サンタンブロージョ聖堂や、カトリック大学がある。4世紀に造られ、9〜10世紀に再築されたサンタンブロージョ聖堂(聖人タンブロージョが祀ってある)の内部は、大規模な修復が行われていた。丁度、撮影クルーが聖堂の内部や黄金祭壇をテレビ録画していた。日本のテレビ局かと思ったら違っていた。

今まで訪れた都市にある大聖堂や教会は、壁画や天井画で埋め尽くされているのに、古代ローマ帝国の時代からイタリア第2位の都市であるミラノの大聖堂(ドゥオーモ)や、「最後の晩餐」で有名なサンタ・マリア・デレ・クラーツェ教会やミラノ最古のこの教会にも壁画や天井画が少ないのを不思議に思った。

サンタンブロージョ駅から地下鉄に乗り、カドルナで乗り換えカイロリで降りてミケランジェロ80歳の遺作「ロンダニーニのピエタ」を見に、ルネッサンス期の最大の城といわれるスフォルツァ城(写真)に向かった。城門をくぐると、左右に、こぶし大の黒い石を敷き詰めモルタルで固めた中世の広大な中庭がある。ここで騎馬の練兵をしたのだろう。

城郭の中の建物は、中庭を囲むように建てられていて、古代の遺物、彫刻、中世の武具、豪華な家具や調度品、タペストリー、陶器、衣装、絵画などの夥しい数の美術品が種類毎に展示してある大博物館になっている。この一級の博物館が入場無料なのに驚き、維持費が大変だろうに、ミラノの財政は豊かだと思った。大きな古代彫刻の部屋では10名ほどの若い修復家達が足場に登り、彫刻の修復作業をしていた。

ミケランジェロの未完の遺作、「ロンダニーニのピエタ」は、2階の展示室から1階に降りたところにあり、照明に照らされていた。

目も手も不自由になった80歳のミケランジェロが彫った未完の彫刻ピエタ(写真)は、バチカンの「ピエタ」の慈愛とは異なる、悲しい凄みを感じ、感動した。

美術書やテレビなどで紹介されたスフォルツァ城の美術品は、家具や調度品であったので、これほど多い美術品があるとは想像もしていなかった。絵画の多さにも圧倒された。マンテーニャ、ベッリーニ、ティントレット、フォッパ、カナレット、ロットなど北イタリア派の画家達の名品には、持ち出し自由の解説レポートが、カラー印刷して置いてあったので、持ち帰り、ファイルにしたら立派な美術書になった。

何処からかオペラのアリア「星は光りぬ」が聞こえてくる。アーチの形をした城門の片隅で、中年の男性がカセットのテープを伴奏に、マイクを持たずに歌っていた。城郭が反響盤になっているので中庭全体に聞こえてくる。

午後3時、スカラ広場のダヴィンチ像の前で家内たちと合流し、スカラ座前のマンゾーニ通りからモンテ・ナポレオーネ通りを通り、ミラノに来たら必ず立ち寄るカフェ・コーヴァで、プチケーキとコーヒーを楽しんだ。メニューにアイスコーヒーがあり、ウエイターに尋ねたら、笑って「レーコー」と云い、日本人がよく注文するからメニューに加えたのだそうだ。伝統を重んじる老舗のカフェのメニューに、アイスコーヒーを加えるジャポネーゼの威力は大したものだ。ここのウエーターはいつもタキシードを着ている。カフェ・コーヴァで土産用のミルクチョコレートを買い、預けておいたスーツケースなどの荷物をホテルへ取りに行き、タクシーでマルペンサ空港に向かった。

搭乗手続きを済ませ、娘と別れ、出国手続きをして待合室に入った。待合室の免税店は、日本人のツアー客でにぎわっている。午後9時15分、マルペンサ空港を出発した。5時間くらい飛行した時、後方のトイレ近くで、「どたっ」という大きな音がしたので、振り返ると、老人が倒れていた。乗務員が飛んできて手当をしてから、トイレの近くの緊急避難用の通路に寝かし、そのまま成田まで寝かしていた。脳溢血かと周りは心配したが、機内の無料ワインを飲み過ぎて意識不明になったようだ。

シベリアの上空に来たとき、左側にオーロラが見えると機内アナウンスがあった。機内では変なことがあったが、13日午後3時15分、無事成田に着いた。

 
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