午後1時成田発のアリタリア航空・日本航空共同運航便は、機体整備に時間がかかり、45分遅れの1時45分に出発した。人気路線で、ツアー客が多く、機内は満席の状態である。
ミラノ、マルペンサ空港には、1時間遅れの20時に着いた。
ギリシャへのツアー客は、乗り継ぎ時間に間に合わないのか、空港内を走るが、乗り継ぎの手荷物検査に時間がかかり、行列が出来ていらいらしている。
乗り継ぎ便は待っていてくれると思うが、随行者との連絡がうまく取れていないのか、大慌てするツアー客に同情する。
マルペンサ空港の入国検査の窓口は3カ所あり、1カ所はEU専用、後の2カ所がEU以外の窓口になっていたので、そこに並んだ。
日本からのツアー客は、入国検査がフリーパスのように簡単に行われているが、私たちの前のスラブ系の外国人には入国検査が非常に厳しく、時間をかけて質問をしていたのに驚き、ツアーでない私と家内は、「あんな質問をされたらどうしよう。」と、ドキドキしながらカウンターにパスポートを置いたら、「ジャポネーゼ」の質問だけでパスポートを返してくれた。
ほっとして、笑顔で「グラーツィエ」と、小声で言ったら、笑顔が返ってきた。
荷物カウンターでは荷物がなかなか出て来ない。
沢山の撮影機材を取る6、7人の一団と一緒になってぼやいていたら、そこへ女優の大竹しのぶがやってきた。どこかでの取材旅行なのだろう。家内が教えてくれなかったら女優とは分からない地味な容姿に好感を持った。
成田の出発の遅れや荷物の受け取りの遅れで、娘は2時間くらい待ったようだ。
マルペンサ空港は、ミラノ市街から北西55kmのところにある。
空港からタクシーに乗り、3車線の立派な高速道路を走った。途中左に曲がるとコモという標識があり、コモ湖が近くにあることが知れる。
高速道路からミラノ郊外の環状線に入り市街に近いインターチェンジを出て、国際見本市会場前から共同墓地、共和国広場近くのホテル・サヴォイアの前を通り、地下鉄ポルタ・ヴェネツィア駅へ出て、ブエノスアイレス通りにあるホテル・クリストフォロ・コロンボ(写真)には、午後9時過ぎに着いた。タクシー料金は高速料金を含め約11万リラ(6300円)で、意外に安い。
タクシーは高速道路の料金所で止まることなく通り過ぎた。イタリアの高速道路はETCが進んでいて、高速料金は、検知器で検知しコンピューターで計算されて、自動的に引き落とされるとのことで、日本よりはるかに進んでいる。
夜の9時(夏時間だから日本では午後10時という事になる)を過ぎているのにまだ明るい。娘は、以前住んでいたアパートを出る羽目になり、地下鉄ポルタ・ヴェネツィア駅から歩いて5分くらいのところに移ったので、荷物をホテルに置いて、そのアパートを見ることにした。
地下鉄ポルタ・ヴェネツィア駅を経由してミラノ中央駅に行くトラム(市電)が走る広い通りに面した入り口は、アパートの建物の裏口だというから、このトラムの通りは建物が出来てから出来たのだろうと思った。
このあたりはミラノの古い市街地で、建物から表通りに出る中庭は、こぶし大の黒くて丸い石を敷き詰め、セメントで固めた中世風の石畳で出来ているなど、アパートは、時代を感じる古い建物を改造したものであった。200年くらい経っているらしいと娘は言った。
2重の扉を手動で開けるヨーロッパ独特のエレベーターに乗ると、がたがたと揺れながら4階まで昇る。
娘が、オペラ・ボエームの「ミミの住み家」と言っていた屋根裏部屋のような最上階の部屋からは、ドゥオーモの尖塔に立つ金色の聖母像「マドンニーナ」が小さく輝いていた。
午後9時半を過ぎているのに、外はまだ夕方の明るさである。
6月29日(金)、ミラノ
ホテルの朝食は、バイキングスタイルで、3種類のハム、赤と黄色の2種類のオレンジジュース、リンゴ、ナシなどの果物、ミルク、水、プロセスチーズ、クリームチーズ、ヌテッラ、蜂蜜、いろいろな果実のジャム、クロワッサン、固いパン、コーンフレークが置いてある。
飲み物はおばさんのカメリエーラ(ウエイトレス)が、「カプチーノ、エスプレッソ、ティー」と聞きにくる。
ペットボトルに入ったアクア(ミネラルウオーター)もバイキングテーブルに置いてあるが、食事が終わった宿泊客が部屋に持って行くので、直ぐ無くなってしまう。
フロントなど従業員に会えば、ボンジョールノと挨拶がくるのでボンジョールノと答える。
明日からはこちらから先に挨拶することにしようと決めた。
カメリエーラは、おばさんが二人と、ちょっと太めの若い女の子が一人。おばさんのカメリエーラの一人は無愛想で、ボンジョールノと言っても返事をしない。
若い女の子は後片付けが仕事のようで、飲み物の注文を聞いたことがない。多分、新米なので注文を聞くことが許されないのだろう。
7日泊まった14日目の最後の日、気のいい方のおばちゃんカメリエーラと一緒のとき、初めて笑顔で私達に飲み物の注文を聞いた。注文を聞くことを気のいいおばちゃんが許したのか、嬉しそうだった。
ホテルは、ブエノスアイレス通りの地下鉄ポルタ・ヴェネツィア駅の前にある。
食事を済ませ、家内と1時間ほど娘の住む古い市街地区やブエノスアイレス通りやホテル周辺を散歩した。立派な大型犬を連れて散歩する女性が多いのに驚く。
10時、娘が迎えにきて、地下鉄ポルタ・ヴェネツィア駅からガレリアに行く事にした。
ポルタ・ヴェネツィア駅はとても大きな駅で、改札口がいくつもある。
地下の売店で10枚綴りの回数券を買い(14、000リラ)、1枚目を改札口の脇にある刻印機に入れて日付を印字すると、3本ホークの締め切りのロックがはずれ、それを押して改札を入る。
乗車券は、75分以内なら無料でトラム(市電)やバスに乗り換えることができる。ただし、トラムやバスの中にある刻印機で日付を刻印をしなければならない。
この国は、乗物の切符をきったり、回収したりする改札口がない。利用者は、刻印機で日付を刻印して乗物に乗る。
キリスト道徳の国だから、「ただ乗り」という不正なことは起きないという信頼関係がある。従って、たまにある検札で刻印をしなかったことが分かった場合、切符を持っていても、「ただ乗り」という不道徳行為とみなし、罰金が科せられる。刻印をすることが「信頼の約束」だからである。
ドゥオーモで地下鉄を降り、ガレリアの突き当たりの、ダヴィンチ像の右側、スカラ座(写真)の左前にあるイタリア商業銀行本店(写真)で、18万円を両替した。(パスポートが必要)
日本では見られない歴史と風格のある大きな銀行で、非常に空いている。交換倍率は17、96倍、コミッションは7、000リラ(円換算398円)である。
東京三菱銀行で両替すれば手数料込みで16倍、ここの方が1割以上も率がよい。それにしても100万円で10万円の違いは、あまりにも暴利と東京三菱銀行に腹を立てる。
スカラ座の左横の道を進み、ブレラ通りを直進して10分ほど歩くと、右側にブレラ美術館がある。正面にナポレオンの像があり、入館料12、000リラのチケット購入し、美術館に入った。写真やビデオの撮影は禁止である。
以前、ウフィツイをはじめ、フィレンツェやローマの美術館やヴァチカン美術館(システィーナ礼拝堂を除く)では撮影が許可されていたので、意外に感じた。
ブレラ美術館は、アイエツの「接吻」とマンテーニャの「死せるキリスト」が特に有名であるが、ラファエロ、ガラバッジョ、ティントレット、ホッパー、ベッリーニ、フランチェスカなど著名な画家達の大作が、所狭ましと展示されている。20、000リラで日本語のパンフレットを買った。
「接吻」(写真)は、日本では評価されないのか、紹介が少なく、知らなかったが、あまりにも官能的な絵に、立ち尽くした。オペラの1場面で、ロメオとジュリエットだと言う説もあると聞いたが、真偽は分からない。
1887年、この絵がブレラに着たときは、大行列が出来る大変な人気ぶりだったとパンフレットに書いてあった。ブレラにはアイエツの記念碑が建っている。
ミラノを陥落したナポレオンは、戦利品としてミラノにある絵画などの美術品を持ち去った。後に、ミラノに返された物をブレラ美術館に展示したのだと書いてある。
当時ヨーロッパの先進国イタリアにはおびただしい美術品があったことは容易に想像がつく、フランスにはナポレオンがイタリアから持ち出した美術品がまだ返されずにあるだろうと穿った想像をした。
美術館を出て、前のバールに入った。隣の席に座っていた中年の女性が、パンを小さく切ってテーブルにおくと、雀が飛んできてそれを啄ばんだ。テーブルの上に止まる人慣れした雀たちは日本にはいない。驚いた。
昼は軽食にしようと、ガレリアにあるマックドナルドに入った。前にプラダの本店があるガレリアの四つ角の一等地に、大きな店構えをしたマクドナルドは若者や家族連れで超満員である。
先に席を確保した。席は運良くガレリアの四つ角側に取れた。アンティパストは以前より品揃えは少なくなったが、イタリア風の野菜サラダやイカやエビやたまねぎをよく炒めてリング状にしたフライは日本にはない。飲み物とアンティパストとバーガーを含め3人で17、000リラ、日本円で1600円であった。さすが食の国、日本にないうまさと安さである。
窓際の席からウィンドー越しにガレリアの往来を眺めていると国際色豊かで飽きない。
昼食後、スカラ座前のマンゾーニ通りを右へモンテ・ナポレオーネ通りに向かって直進し、ペッツォリー美術館に行った。入場料10,000リラ、ヴッラウォーロの「若い貴婦人の肖像」、マンテーニャの「聖母子」、ヴェッチオの「娼婦の肖像」、ボッティチェッリの「書物の聖母」、「死せるキリストへの悲しみ」の絵葉書を買った。後で分かったことだが、6年前に家内が買ってきた絵葉書と同じものを選んでいた。
家内は、撮影禁止の「若い貴婦人の肖像」の前で写真を撮っている。娘が係員と知り合いであったので撮らしてくれたのだそうだ。
午後3時30分、予約しておいた修復後の「最後の晩餐」を見に行くため、ドォーモからトラム(市電)に乗って、世界遺産のサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会へ行った。
以前には無かったCENACOLO VINCIANO(セネコロ・ヴィンチアーノ)と書いた幕が下がっていて、入口やチケット売り場は改装されていた。レオナルド・ダ・ヴィンチを親しみと敬意を込めてヴィンチアーノと言うのだと思った。入場券にもCENACOLO VINCIANOと書いてある。前に来たときは長蛇の列で2時間も待ったが、予約制になったので教会の前の広場には誰も居ない。少し寂しい感じがする。
CENACOLO VINCIANOの入口(写真)からサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会の美しい回廊を経由して薄暗い展示室に入った。修復中の2年前とは違い「最後の晩餐」のキリストの顔がうれしそうに微笑んでいるように見えた。
サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会は世界遺産に登録されていて、大規模な修復中である。
前回は、丁度、日曜日で、沢山の人達がグラーツィエ教会へ礼拝に来ていた。日曜の礼拝日を狙って、イスラム教徒の服装をした親子ずれの難民が、教会の入口の通路に小さな箱を置いて座り、頭を下げていた。キリスト教徒の礼拝日に、イスラム教徒がキリスト教会の入口で物乞いをし、礼拝を済ませた人達が、イスラム教徒の置いた箱に小銭を入れる異様な光景に居合わせたことを思い出しながら、大規模な修復中で日曜日の礼拝はどうするのだろうと余計な心配をする。
教会の前の停留場で帰りのトラムを待っていたがなかなか来ない。30分待った。いらいらするがミラネーゼは辛抱強い。
ドゥオーモで降り、家内たちとは別行動となった。待ち合わせはドゥオーモの中にした。
135本の尖塔を持つドゥオーモにはいつも圧倒されてしまう。中では、マリア像の前でミサが行われていて、入場のチェックが厳しく、初めて入場整理券を貰って入った。
林立する大理石の太い見事な柱を眺めながら、これらが135本の尖塔まで達しているのだろうと思いながら、広い教会の中の見事な彫刻や飾り物や天蓋を見物した。
礼拝用の椅子に座って美しいステンドグラスや広い教会の中をぼんやり眺めていると、10歳くらいの男の子がお金をせびりに来た。首を横に振ったら、別の椅子に座っている人達の処を廻って手を差し出していた。そのうち警備員が来て男の子を連れ去った。ミラノは、以前と比べ警備の警察官が多いのに気づいた。
ドゥオーモの前の大きな広場では、コーラの紙コップを差出し、物乞いする難民は増えていたが、新聞を広げて近づくジプシーの子供達のスリは見かけない。
それにしても、韓国や台湾の観光ツアーの多さに驚いた。ひょっとすると日本人のツアーより多いかも知れない。
家内たちと合流し、午後8時、予約しておいたガレリアの裏にあるプリマフィーラというリストランテに行き夕食を取った。この店は、スカラ座の出演者たちが通う店で、ミラノに来たら必ず立ち寄る店である。前に来た時は席待ちの人が列をなす盛況であったが、今回は空いている。カメリエーレ(ウエイター)達はいつものように元気で愛想が良いが、客は正直、味が落ちていた。料理人が別の店に引き抜かれたのだろう。