7月4日(水)、フェッラーラ           フェラーラの写真集
 

8時30分ラヴェンナ発フェッラーラ行のラピドに乗り、エミリア・ロマーニャ州の豊かな穀倉地帯を約1時間15分程走り、9時45分フェッラーラに着いた。メディチ家を追放し、フィレンツェを市民の共和制国家にしたのに、その市民によってシニョリーア広場で火あぶりにあう修道士サボナローラの生まれた地であることを知り、感慨深い。フェッラーラの歴史地区は、世界遺産に指定されている。タクシーに乗り、約2時間の市内観光を頼んだ。若い運転手は快く引き受けてくれた。

水を貯えた堀にかかる跳ね橋を渡って入いる中世そのもののエステンセ城とサボナローラの彫像、豪華で個性的なドゥオーモとそれを守る2匹のライオン、ダイヤモンドのようにカットされた大理石のディマアンティ宮殿、そこから真っ直ぐ伸びる、こぶし大の黒い石を敷き詰めて作られたポプラ並木の中世の古い道、テアトロ・ヴェルディ、ロメイの家、美しいスキファノイア宮殿などの旧市街の世界遺産地区や、都市国家フェッラーラを守った美しい堀と土塁の遺構の公園やサッカー場など、市内をくまなく廻ってくれた。

フェッラーラは、公園の中にある中世の街と言った美しく落ち着いた人口12万人の都市で、イタリア人が住みたい町ベスト3に入るのだそうだ。人口12万人の都市にヴェルディ劇場やコムナーレ劇場など劇場が3つあり、オペラが上演されるのだそうで、イタリア人の文化と生活の豊かさを感じた。

娘がボローニアでのパニーノの話を運転手に話したら、フェッラーラにもおいしいハムがあると言って、肉屋さんに案内してくれた。ボローニアの肉屋さんにはパニーノ用のパンが置いてあったが、ここは置いてない。隣がパン屋さんで、そこでパンを買い、気のいい肉屋の親父さんにパニーノを作ってもらった。フェッラーラにしかないパンだからと勧められ、ざらめをまぶした赤い色の桃の形をしたパンの中にチョコレートが入った、イタリアでは珍しい菓子パンを買った。

駅でタクシーを降り(タクシー代99000リラ5700円)、ホームでヴェネチア行のユーロスターを待っていたら、隣のホームに「カフェ・キンボ」の宣伝列車と思わせる新型の列車が入ってきた。さすがデザインの国、大きく「KINBO」と書いた広告文字の列車に違和感が無い。都営バスはこれを真似たのかなと思った。

12時15分ひかり号によく似た形のユーロスター(ES)がホームに入ってきた。この列車は、ローマからリミニまでアドリア海の沿岸を走りボローニアを経由してヴェネチアに行く。途中パドヴァに停車した。列車の中で気のいい肉屋の親父さんが作ってくれたフェッラーラ特産ハムのパニーノと赤い桃型の菓子パンを食べた。パニーノの味はボローニアのものよりはいくらか落ちる感じがし、菓子パンは日本のものの方がおいしい。

 

7月4日(水)、ヴェネツィア        ヴェネツィアの写真集

 

潟の中を10分程道路と平行に走り13時40分ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に着いた。民族移動により内陸を追われた原住民が沖合にある無数の島に住み着き、155の島を埋め立て、177の運河と410の橋を作った海中都市ヴェネチアは海洋交易で莫大な財力を得た。1つの教会を造るのに2年もかかって110万本の木を打ち込ないと建てられないような脆弱な地盤に無数の建物を建て、世界1の豪華な建築物群を持っに至った海上都市国家ヴェネチアも、地盤沈下で年に100回以上も高潮で床上浸水する。このままでは世界遺産のヴェネツィアは海中に没する運命にあるというのでユネスコが中心となって、沖合に可動式の高潮防潮堤を作る計画があるらしい。

駅前のヴァポレット(水上バス)乗場フェロヴィーアで24時間乗り放題のツアーチケット(18000リラ)を購入してリアルトまで乗り、リアルト橋近くのホテルリアルトには午後2時頃に着いた。部屋の前が大運河で、すぐ右側にリアルト橋が見えるロケーションのよさに満足する。

前回ミラノから日帰りで来たときは、ヴァポレットでサンマルコに行き、広場の辺りをうろつき、レストランで昼食し、お土産を買って、リアルト橋でゴンドラに乗り、帰りのESの食堂車でディナーを食べて終わってしまい、サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿の内部を見なかったことが残念でならず、今回はまずそれを見て、アカデミア美術館やフラーリ教会、サンロッコ信者会を訪れようと決めていた。

リアルトからサンマルコ広場に行くため、82番のヴァポレットに乗った。超満員である。82番は急行で、8つ目のところを4つ目で着く。しばらくして検札があった。24時間のツアーチケットを出したらパンチで穴をあけた。その後何回もヴァポレットに乗ったが検札はなかった。無賃乗船をする者が結構いるだろうと罰当たりなことを考えたが、ここはキリスト道徳の国なのだから不道徳なことはしないのだろうと思った。

サン・マルコ寺院は長い行列が出来ていて、入るのに30分待った。寺院内部は、モザイク画で埋め尽くされ、とても人間業とは思えないものすごさに圧倒された。モザイク画の面積は延べ4キロ平方メートルにも及ぶというがもっとあるように思える。名も無いモザイク職人たちが後世に残した偉業や、ドゥカーレ宮殿、アカデミア美術館などの宮殿やカドーロなどの貴族の館や商館、そこにある著名なヴェネツィア派の画家たちの膨大な遺産に、当時のヴェネツィアの財力のものすごさをうかがい知ることが出来る。ドゥカーレ宮殿を飾るおびただしい数の壁画や天井画を見学していたら、1ヶ月前、「上野の森美術館」のヴェネチア絵画展で見て強烈な印象を受けたティエポロの「ヴェネツィアに富を捧げるネプトゥヌス」があり、日本に来ているものとの違いを尋ねたら、この絵にはコピーが3枚あり、そのうちの1枚が日本に行ったとのだと説明してくれた。そういえば、本物の上部にコピーの絵も飾ってあった。

宮殿の中から、溜息橋を渡って、橋の窓から大運河を眺める景色のすばらしさに泪し、溜息する囚人たちの感情を味わい、薄暗い広大な牢獄を見物して宮殿を出た。サン・マルコの船着き場からアカデミア美術館までは海上タクシーに乗った。海上タクシーはゆっくりと運河を走るものだと言うことが分かった(タクシー代70000リラ、4000円)。

アカデミア美術館で家内や娘と別行動になり、膨大な絵画の中からジョルジョーネの「嵐」を探した。モナリザと同じように小さな額に入っていた。美術館を出て再びサン・マルコ地区を散策しようとヴァポレットに乗った。暫くして、パトカーのようなサイレンを鳴らした警察のモーターボートが運河を走ってきた。ヴェネチアには自動車がない、パトカーも消防車も救急車も全て船であることに気付いた。溜息橋を見ながら高級ホテルが立ち並ぶスキアヴォーニ河岸を散歩した。河岸の広場では沢山の画家達が絵を売っていた。河岸通りのシックな街路灯に灯りが点いたのでヴァポレットに乗りホテルに帰った。一階にあるレストランで運河を見ながら夕食をとっていたら、女性の画家が水彩画を売りに来た。今日描いた絵で1枚5万リラ(約3000円)だという。土産にと4枚買ったら、「今日初めて売れた」と喜んで、12万リラ(約7000円)にしてくれたた。昼の賑わいから、夜のヴェネツィアはさぞきれいだろうと想像し散歩したが、店が閉まった夜のヴェネツィアは、暗く寂しい。

翌日は、朝6時に起きてヴェネツィアの下町を早朝散歩に出かけた。人は歩いていない。

店の前の通りを男性が箒でゴミを集めている。店先の道路掃除は男の仕事のようだ。運河には食料品を山と積んだ小舟が停泊し、3階の窓を開け運河に塵を捨てる中年の婦人。通勤に出る市民が路地を急ぎ足で通る。町はまだ眠ったようだ。7時前の野菜市場や魚市場は陳列の準備

 

 

 

 

 

 

 

 

をしている。リアルト橋の河岸の袂で本を読む中年紳士がいた。岸辺では老人が釣りを楽しんでいた。教会の鐘が鳴り7時を知らせる。観光客を乗せたヴァポレットが動きだし少しずつ町が賑わい始めた。

朝食を済ませ、8時ヴァポレットに乗り、ティツァーノの「聖母被昇天」を見にサン・ポーロ地区にあるフラーリ教会に行く。通勤のサン・ポーロ地区の住民がヴァポレット乗り場に急ぐ。この地区は、映画「旅情」で、キャサリン・ヘップバーンが運河に落ちる名場面の船着き場がある。フラーリ教会は朝の礼拝で開いていた。1万リラを寄付金箱に入れ祭壇に向かった。

祭壇の壁面に飾られた「聖母被昇天」は、美術書で想像したものとは比べもにならない大きさと迫力に圧倒された。隣のサン・ロッコに行き、ティントレットが24年かけて広間いっぱいに描いた素晴らしい天井画や壁画を見た。ここには天井画を見るために鏡が置いてある。

 
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平成9年10月20日 ヴェネツィア
 
平成9年10月20日、ミラノ中央駅9時発ヴェネツィア行きのユーロスターに乗り、正午にヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に着いた。
駅の近くのリストランテで昼食を取った。
カメリエーレは私達を日本人と思ったらしく、日本語で書いてあるメニューを持ってきた。食事を済ませムラーノ島行きのヴァポレットに乗った。
ムラーノ島行きのヴァポレットはリアルトとサン・マルコしか停まらないので目的地のサン・マルコには早く着く。比較的空いていた。
船尾の座席でムラーノ島に釣りに行くいうベレー帽をかぶり、ブレザーを着込んだ老人と同席になった。
彼は、リールを付けた折りたたみ式のリール竿を裸のまま持っていた。
ベレー帽とブレザーの釣り人には日本ではお目にかかれない。釣りは紳士の趣味なのだろ。
釣りに興味のある娘は、サン・マルコまでの約15分間を老人に一緒にムラーノ島に行こうと誘われるなどして楽しそうに談笑していた。
サン・マルコで老人に別れ、サン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿を目指したが、教会と宮殿は長蛇の列なので見学を諦め、広場や有名な涙橋や土産店を散策し、リアルト橋まで歩き、リアルト地区の商店街などを散策したのち、ゴンドラに乗った。
ゴンドラは、リアルト橋をくぐった後、広い運河から路地のような狭い運河を約45分位廻ってくれた。
途中、ゴンドリーエがナポリ民謡を歌ってくれた。北イタリアのゴンドラの中で南イタリアのナポリ民謡を聴くのも風情があるが、北には情緒のある民謡が無いのかも知れない。リアルト橋でゴンドラを降り、サンタルチア駅までの道すがらを、ウインドゥショッピングをしながらぶらぶら歩き、18時発トリノ行きのユーロスターに乗った。
パドヴァを過ぎた辺りで、若い女性の乗務員が食堂車でのディナーの予約を取りに来た。
ヴェローナを過ぎた辺りで、ディナーの用意が出来たと言って、食堂車に案内された。
食堂車は日本にはないレストラン風のリッチな雰囲気で、トリノ風のディナーも旨い。
ミラノには22時に着いた。